ある夜のできごと

最近、月一回、参加している勉強会の中で、面白いことが起きました。

私は、それが起きたことが、すごく嬉しくて、少し涙が出そうになりました。


それは、InsideCleanというオンライン教材の勉強会です。

どれくらい続いているのかな?

わかりませんが、私は、昨年から参加しています。



その日、私たちは、知覚者(perceiver)について話しあっていました。


メンバーの中に、一つ一つの言葉を非常に丁寧に理解しようとするSちゃんと、それから、絶賛成長中のYちゃんがいます。


私はSちゃんからはファシリテーションされたことがありませんが、Yちゃんのセッションは、ワークショップで受けたことがあります。Yちゃんは、非常にいいセッションをしていました。(偉そうで、すみません!)

そのセッションのあとにYちゃんが抱いた疑問も素晴らしかったです。


その疑問は、ワークショップにいた全員が聞く価値のある答えを、ジェームズから引き出しました。

ファシリテーターが抱く恐れについてです。


もしも、そのうち、ジェームズが、「恐れを抱きながら、質問しなさい」という本か記事を書いたら、それは、Yちゃんの功績です。



さて、この2人の頭に浮かぶ質問が、私にはいつも興味深く、私は彼女たちの質問をいつも書き留めます。

彼女たちの抱く質問は、私を思考させるからです。



その日、Yちゃんは言いました。

「どうして、知覚者が重要なのかがわからない」


それは、そこにいた人のうち、少なくとも3人に大ヒットした発言でした。

その中のひとりは、私です。


それぞれ、自分が考える知覚者の重要性を語りました。

その中には、もちろん、自分が気づいていなかった重要性もあり、私はずいぶん、賢くなった気分がしました。


私が思うYちゃんのリソースの一つに、人を考えさせることができる「わからない」を持っていることがあります。

Yちゃんの「わからない」は素晴らしい。


私は、Yちゃんが「わからない」という度に、ワクワクします。

新しいみんなで共有できる知識や知恵が、Yちゃんに説明するために、そこに現れるからです。


もちろん、私自身も、自分の持てるものを引っ張りだします。

それを、みんなの知識にするために。



Sちゃんは、その日、軽やかに言いました。


「私は、知覚者じゃなくて、パーシーバーという言葉を使う」


このような一言は、以前には登場していません。

Sちゃんはいつも、言葉について、考えているように見えました。



それで、その勉強会では、同じことを言い表すのに、それぞれの理解に基づいて、「知覚者」と「パーシーバー」と「perceiver」という言葉が飛び交う珍妙な事態になりました(笑)


けれど、みな、同じことを言っているのです。


そして、誰も、「自分の理解が正しい」とは言わないのです。

「私は」こう理解している、と、「私はわからない」も含めて、同じ言葉の理解について、話をしたのです。


それが、どれくらいの期間、私が日本語で見たいと望み続けた景色だったか、そこにいた人たちは知りません。


静かに、和やかに、ひっそりと、私の望んだアウトカムのひとつが実現しました。


私の人生の中に、そういう夜があったことを、記録したいと思いました。

涙が出そうなほど、私が、嬉しかった夜のこと。