胸の熱さ

体の記憶。

触覚。

名前という記号(シンボル)の力。


ちなみに、シンボリック・モデリングに含まれるシンボルという英単語には、象徴だけでなく、記号という意味もある。

私は、毎回、Symbolをどう訳すか迷う。

文脈によっては、この場合は記号なんじゃないか?という考えが浮かぶこともある。



さて。


私は、この年末年始を、母方の田舎で、叔母と祖母と過ごしている。

今日、家に帰る。

明日から仕事だ。


新年のご挨拶は、家で落ち着いてからあらためて。


ちなみに、私のペット達と夫、つまり、私の家族は、また、私が海外に行けるように、留守番の練習をしている。

一週間が、彼らの留守番の限界ということはわかった(笑)

猫が玄関で座って泣き叫びだしたらしい。



さて。


叔母や祖母が私に教えたことは、私の今後のセッションに大きな影響を与えそうだ。


特に祖母。


祖母は、現在、一日が60時間のサイクルで生きている。

30時間、眠り続け、30時間、起き続ける。

彼女は失明している。

祖母は、要介護度5(最高の介護度)だ。

祖母は体温が低く、手が氷のようだ。

祖母は幻覚が見える。

祖母には、私が誰かはわからない。


けれど、私と祖母の会話は成立するのは、ひとつ前に書いた。

私が誰かはわからない祖母と私は、未だ、winwinの関係だ。

祖母は、私を学習させる。

質問の力を、望むアウトカム(Desired Outcome)を問いかける意味を、私に教えてくれる。



祖母が、私に教えてくれることは、記憶の仕組み。

記憶のたどり方。

そこに、名前が、大きく絡むこと。

名前と感情の結びつき。

体感と記憶の結びつき。

意識の力。


できる、喜び。

リソースの力。


人生の最後まで、残るもの。


98才の祖母が、私に、教えてくれること。



それは、「embodied」で表されることの力。

いかに、シンボルを身体化するか。

いかに、体と感情や意識を結びつけることに、力があるか。

いかに、体験は、力を持つか。



クライアントに、いかに、体験させるか、いかに身体化させるか、そのために、何を誘うか、それは、その人の人生を、長く助けることができる可能性があるか。



それから、Less is More

これは、少ない方がより多い、という意味で、クリーンランゲージでもよく言われるが、シンボリック・モデリングの基本方針でもある。


人をサポートするとき、できるだけ手出しすることを少なくするとき、何が起きるのか。

それもまた、叔母と祖母との数日間が、私に教えてくれている。


私はすぐに姿を消す。

彼らの現実から姿を消す。


それもまた、セッションと同じだ。


だから、日常には、手を出さない。

日常のやり方には手を貸さない。

その人が変えたいと望むこと以外は。


そうしないと、後で、クライアントが困るから。


そうしないと、後で、叔母と祖母が困るから。


手は出したくなるけど、押し止まれるようになっている自分がいることに、私は気づいた。

これは、この10年で身についた成果だろう。


介護の予定がある人にも、クリーンのスタンスは覚えておいて損はない。

セパレーションの技法の立ち位置は、手助けする側の心理的負荷が、かなり下がる。


心ではなく、頭を動かす技法の立ち位置。

論理的思考で、物事の構造を把握する技法。

過去ではなく、今と未来に焦点を当てる技法。

問題ではなく、望みとリソースに焦点を当てる技法。



そして、私の場合、この話には、叔母が3人、母1人、そして祖母の5人が絡む。

叔父を入れたら、後、3人いる。

8人のセルフが絡み合う。


私は、それをグループファシリテーションする。


たまに、ステップイン(介入)しながら。

全員の感情や意向を吸い上げながら。


平和を生み出すために。

それが、私の望むアウトカムだ。

私の平和は、笑顔ある世界だ。



シンボリック・モデリングの世界観は、親戚のファシリテーションにも使える。


これはプロブレム。

これはレメディ。

これがアウトカム。


これはリソース。

リソースを強化し、アウトカムを広げる。


そうして私は、自分が本気になっていくのを感じる。

胸が熱くなっていくのを感じる。