日本語でも、再現できる
そして、さっき、なぜ、それが起きているかに気づいた。
「私のシンボリック・モデリング」が使える道具になったからだと。
それは英語では、3年前に、その状態だった。
つまり、私のスキルは、使える程度には3年前にはなっていた。
ただ、私は、日本語で、それを再現できなかった。
去年、何人かの英語話者の人たちが、私のセッションを褒めてくれた。
最後は、大先生たちの前で、ゆかりのしたのは美しいセッションだったと、褒めてもらった。
みんなの前で。
それは、録画がある。
それで、私は、自分のスキルがある程度に達したことは理解した。
けれど、私は、日本語で、それを再現できなかった。
日本語では、シンボリック・モデリングだけで、同じことはできなかった。
シンボリック・モデリングだけでセッションできるようになった時、可能になることがあり、私は、そこへ辿りつきたかった。
私のクライアントは、日本語話者だ。
いくら英語で褒められても、日本語で再現できなければ、意味がない。
私にとって、意味はゼロだ。
私にとって、シンボリック・モデリングは、仕事道具だ。
クライアントは、結果が欲しくてセッションを受けにくる。
ほとんどの場合、結果には、現実に関わる。
心理的満足で納得するクライアントには、私は会ったことがない。
結果を生み出せる道具でなければ、私には、意味がない。
そして、12月。
私は自分のセッションが変わったことに気づいた。
そこで、英語と同じことが、起きた。
それから、12月。
学習仲間が、「この先をシンボリック・モデリングだけでファシリテーションできる?」と、私に聞いてきた。
それは、私が以前は、できなかったことだった。
私は言った。
「できますよ。シンボリック・モデリングだけでできる」
そして、12月後半。
どこから来たかわからない新しい顧客が、セッションを申し込みはじめた。
その人たちは、シンボリック・モデリングを知らない。
その人たちが口々に言った。
「これは何ですか?体感を伴いながら、意識が広がっていく」
「何が起きたか、ちっともわからない。でもすごかった」
そして、リピーターさんは言った。
「すごく動いてる。現実が動く」
英語と日本語で、同じような結果が出せるところまでは来たと、私は知った。
私はすぐに気づいた。
私がこの一年で学習した内容に、違いを生み出すものがある。
でなければ、二年前にできていたはずだ。
私のスキルは、英語だろうが、日本語だろうが、変わらないのだから。
むしろ、英語はハンデがある。
私は英語では、今もごくたまに、何を話しているか、さっぱりわからないままで、セッションをしている。
違いを生み出した内容は、2022年の私が見聞きしたものの中にある。
英語では、アドバンスにあたる部分で、日本語では、最初に知っておく必要があることがある。
なぜなら、11月に、私のセッションに違いが生まれはじめたから。
私が日本語の見方を変えた後に。
日本語でも、再現できる。
日本語でも、再現できる。
そう思ったとき、私に起きたこと。
それは、私のセッション価格を下げることだった。