減らしたい、そして。: PRO
「私は、(家の中にある)物を減らしたい。」
これは、本日、朝、私の頭に浮かんだ望みです。
この望みは、シンボリック・モデリングでは、レメディという分類になります。
クライアントが望んでいても、これは、発展させません。
望みを発展させるのとは、別の質問をします。
同じように取り扱う「望みを表す動詞」には、以下のようなものもあります。
片付けたい。
捨てたい。
減らしたい。
離れたい。
逃げたい。
縮小したい。
なかったことにしたい。
解決したい。
緩和したい。
無くしたい。
なんとかしたい。
ちなみに。余談ですが。
「転職したい」も、私の経験的には、レメディのことが多いです。
これらの単語の前には、何をどうしたいかの「何を」が入りますが、日本語では、省略されていることも多々あります。
最初に書いた文章を眺めてみましょう。
「(私は、)(家の中にある)物を減らしたい。」
こちら、わかりやすく、省略なしで書きましたが、私の頭に浮かんだことを、正確に再現するなら。
「減らしたいな」です。
「私は、家の中にある物を」は、言葉としては、浮かびませんでした。
さらにいうなら。
「家の中にある物が多すぎる。これは後々、片付けが大変になりそうだ。」という問題。
それから、「今なら減らせる。これ以上、物が増える前に、減らした方がよさそうだ。」という、「減らしたいな」を望んだ理由は、全く頭に浮かびませんでした。
「物が多すぎる」は、問題です。
「後々、片付けが大変になる」は、未来に予測される問題です。
「今、抱える問題」、それから、「未来に発生するだろうと、今、予測している問題」その両方を、「プロブレム」として扱います。
プロブレムの定義は、「存在する(ある、持っている)+「価値を認めない、または、好まない」です。
あくまでも、それを感じるその人個人の価値観主体の話です。
「それ、問題ちゃう?」と、他人が感じるかどうかは、この場合、関係ありません。
おそらくは、私の持ち物が多いと感じる他人はいないでしょう。
私はもともと、物が多いのは好きではありません。
レメディは、その「プロブレムを排除したり、緩和したり、回避したりする望み」です。
この望み、確かに望みなのですが、それが実現したとて問題がなくなるだけで、何も新しいことが現れない望みを、シンボリック・モデリングでは発展させません。
だから、シンボリック・モデリングを使う人たちが言う望みは、一般の望みとは少し異なります。望みを解決しようとは、考えていないからです。
主には、まだ今、そこにない、新しい何かを生み出すこと、つまり、解決ではなく、新しい何かを創造することを目指します。
私は、この部分が好きです。
ただし、これには、「ただし」、がつきます。この「ただし」は、もしかしたら、最重要パートかもしれません。
そして、特に、なんらかのコーチングの知識があったり、対人支援経験がある人たちが、クリーンランゲージを「窮屈だ」と、時に感じる理由かもしれません。
志ある人は、特にあるかもしれません。
「ただし、クライアントがそれを望むなら」
つまり、誘導しない、ということです。
シンボリック・モデリングは、ポジティブ万歳、または、ポジティブ至上主義な技法ではありません。
そもそも、ポジティブ、ネガティブというラベルを貼りません。
クライアントが、貼り付けていないなら。
ラベルを貼り付けるのもまた、クライアントにおまかせです。
徹底的に、できる限りの自由を提供しようとしています。
例え、上手くいかんなと、明らかに推測できても、そのまま、進めていきます。
クライアント自身が、そのやり方を変えたいと自分で願うまで。
クライアントの望みや願いを尊重します。
さて、話を戻して。
そして、この私のレメディが、どこから誕生したかと考えると、それは、この年始年末の私の経験です。
私は、この年末年始、ゴミ屋敷の掃除に明け暮れていました。
私が作ったゴミ袋、50個。
そこは、以前は、ゴミ屋敷ではありませんでした。
長きにわたる介護がそこに存在し、そして、ゴミ屋敷と化しました。
大量の物を片付ける作業で、私は、非常に疲れました。
「減らしたいな」という思いは、そこからやってきました。
さて。そして。
「あなたは、何が起きればいいのでしょう?」と、ファシリテーターが問いかけたとき。
クライアントが「減らしたいんですよね」と答える。
すると、あなたは、次に、何を質問しますか?
または、「物を減らしたい」と答えたら?
または、「私は、家の中の物を減らしたい」と答えたら?
さて、あなたは、どんな質問をしますか?