人生を変える一文
人生を変える一文に出会うことは、まま、あるもので。
数日前、私は、また、人生を変える一文に出会った。
‘I make gingerly a gingerbread.’がそれだ。
ジンジャリー ア ジンジャーブレッド?
生姜みたいに生姜パンを作る?
なんじゃ、そりゃ。
その文章は、イラスト付き単語ブックの中にあった。アメリカの高校生用のもので、日本語の説明はなかった。
「ただイラストを記憶すれば、試験合格間違いなし!」的な本で、いずこの国でも、高校生が探すものは同じだなと思った。
ジンジャリーは、とても慎重にという意味らしかったが、なぜ、生姜っぽいのが慎重なのか?と私はわからなかった。
そして、ジンジャリー、ア、ジンジャーという音の響きが、私の興味を引いた。
私は、ジンジャリー ア ジンジャー、と繰り返すうちに、なんだか楽しくなってきた。
私はすぐに辞書は調べず、語源は何かな?生姜はどういうメタファーなのかしら?と、楽しんだ。
頭の中に浮かぶのは、生姜をすりおろす構図ばかり。
生姜をすりおろす時、注意しないと、手を怪我するからかしら?
ジンジャリー ア ジンジャーと、私は、節をつけて、何度も歌った。
そして、十分に楽しんだ後、辞書を引いた。
今、私が使っているのは、Oxford English Dictionaryだ。英英辞書。アプリ。
その後に、必要だったら英和辞書を引く。
翻訳する時は、英和。
できるだけ、辞書の日本語ではなく、私の日本語ボキャブラリーで覚えたいからだ。
ああ、こういうことだなと。
そして調べた結果、gingerlyは、フランス語が語源で、生姜とは関係なかった。
なあんだ!と思って、少し笑った。
この一文が、変えたのは、楽しみ方だ。
私は少し前に、メタファーで、自分の記憶の仕組みを探り、そこにあった問題を解決するために、少々手を加えた。
何度かここにも書いたが、私はコンセプトや本質は比較的、割とすぐにつかめるが、名前が覚えられないというのが、私の抱えていた問題だ。
英語だけではない、日本語でも、カタカナは厳しかった。
意味のない音を表す記号が並んでいるという意味では、カタカナと英語は同じだ。
意味とその記号を結びつける時に、文字だけでは、私は無理なのだ。
少し前、私は、自分の記憶システムを少しいじった。
そして、そこに合わせた、自分が得意なやり方で単語を増やすにはどうしたらいいかを考えた。
私が気づいたのは、日本人向けに作られた参考書より、自分には、ネイティブの子供〜高校生くらいの子供たちが学ぶ方法があっているかもしれないということだった。
ひとつを除けば、可能である。
一つは、英語の中で暮らすこと。
私は母国語みたいに、英語を学ぶ。
ゆっくり、ゆっくり。
私の身につくまで。
それしか自分には無理なんだと、気がついたのだ。
学校のやり方、参考書のやり方は、自分とは、脳の作りが違う人たちのためのものだ。
多数派のために、学校や参考書はある。
考え、使い、そうしなければ、自分は覚えられない。
第二言語という言語は、自分には存在しない。
私の脳は、英語と日本語との違いを理解できていない。
ただ、わからない言葉なのか、わかる言葉なのかの違いだけがある。
そもそも、人間が、外国人か日本人かの区分分けができないのだから、言葉はもっと難しかろう。
(私の脳みそは、人間は全部人間と認知する。)
新しい記憶システム誕生のあと、私は、そう思った。
(そのシステムは小さな頃に頭の中を戻したのかもしれない。日本語が珍しくて、楽しくて、仕方なかったころ。なぜなら、「お友達(Friendship)」と「握手する(Shake Hands)」というメタファーが登場していたからだ。)
そして、ジンジャリー ア ジンジャーと出会った。
多分、この単語は覚える必要がない。
very carefullyでいけるもの。
でも、私の頭の中は、ジンジャリーに夢中になった。
小さな頃に、形が綺麗な漢字を知った時みたいに。
舌を転がすとふふふと笑える音を持つ単語を知った時みたいに。
その単語ブックの中は、見たことがない単語だらけで、私の好奇心は爆発しそうだった。
生姜じゃないジンジャリーは、多分、私の人生を変えた。
なぜならば、そのあと、私は、がんがん、新しいフレーズを、自分が書く英文やメールにツッコみ始めたからだ。
新しい単語、新しいフレーズ、新しい音を見聞きするのが楽しくなったからだ。
それらは、わからない言葉、ではなくなった。
新しい言葉、になったのだ。
もしくは、まだ覚えていなくて、今から覚える言葉。
わからない言葉では、なくなった。
使うのが初めての言葉を使う時は、(前の文章は、辞書から丸写しです。おかしくないといいんですが)と、カッコづけで書いておけば、大失敗にはならないとも気づいた。
(過去に、英文メールで失敗したことがある。)
さあ、楽しくなってきた。