そこは友情を感じる人が暮らす国

そこに友情を感じる人がいる時、その国は別の国になる。

私にとってお隣さんの国は、どちらも友情を感じる人の母国なように。


この2ヶ月ちょっと、私は、参加してきた丑三つ時英語コーチングで、あるロシア人女性にすごくサポートされてきた。


そのコーチングプログラムには、WEB上に参加者だけが見れるクローズドコミュニティがあり、英語が母国語でない彼女と私が、だんとつに投稿回数が多かった。

彼女の英語は堪能で、彼女は現在、別の言語を学習中だった。


他の人はみな、英語ネイティブだった。


毎日どこかに英語を書くといいと、私に教えてくれたのも彼女だった。


そして2ヶ月半が経ち、すごく仲良くなったわけではないが、私の中に静かな友情の感覚が生まれた。



昨日というか数時間前、プログラムに参加するためにzoomにつないだ時、そこには講師の先生2人と彼女だけがいた。

彼らの表情は暗かった。


すぐウクライナという単語が聞こえたので、何の話をしているかがわかった。

彼女が、誰一人、戦争は望まない、と言ったのも聞こえた。


そして、講師の先生2人もヨーロッパにいる。


プログラムの参加者は、私以外は、みな、ヨーロッパに住む人達だ。

顔が少し暗かった。


戦争の足音は、昨日、プログラムに少しだけ、影を落としていた気がした。

みな、少しだけ、大人しかった。



私は、自分がもっと流暢に話せたなら、みんなを笑顔にできるのにと思った。

そうしたら、チェルシーという猫が、またしても、にゃあ!と鳴いて参加してきて、猫が代わりに笑いを取ってくれた。


この2ヶ月半、チェルシーは、3回ばかり、笑いを取った。



そして、私にとって、今、ニュースの中で語られる戦争の足音は、昨日までと別の話題になった。



ヨーロッパが戦場になるかもしれないと思った時、胸が痛んだ。



病気になるのは避けようがない。

地震も津波も避けようがない。

噴火も避けようがない。

それらは、ただ、生命の営みだ。


地球に生きているのは、人間だけではない。


戦争は違う。

人間の手で避けられる唯一の災害だと思う。



ヨーロッパのことを考えると、胸が痛んだ。

起きているパターンが、過去と似ているからだ。


また過去を辿るのだろうか?

(過去のパターンを辿るなら、日本も無関係ではなくなるが。)



心から、平和を祈った。


あらゆる人の知恵が、叡智が、ぎりぎりでそれを回避してくれることを祈った。