楽しい、面白い、リラックス
昨日から今日にかけて、なんか感慨深いよねという感情になっている。
淡々としているので、多分、すごい深いところが動いている。
昨日というか、今日の丑三つ時というかに、私は、またしても、語学を最高の状態で学ぶためのワークショップに出ていた。
今回、私は、前回までに気がついたことを確かめるべくして、ある準備をしてから参加した。
参加する前に一時間、先に、英語を聞いたのだ。
私の頭が英語に切り替わるのに、それくらいかかると気がついたから。
そして、ワークショップが始まって、私は静かに感動した。
最初から、みなが何を言っているかがわかったからだ。
しかし、同時に気がついた。
会話に参加しようとすると、頭が混乱すると。
英語で考えることはできる。
しかし、英語を聴きながら、それを理解して、自分の意見を組み立てて、話すという一連が難しい。
それで、私は黙っていることにした。
英語のワークショップでは、だいたいいつでも私はそんなに発言しないが、あまりにも私が静かなので、講師の先生がついに私をあてた。
私は、黙っていたら聞こえたから、静かにしていたと言った。
そして、シングルタスクならできるけど、マルチタスクがまだできないと気がついたと言った。
昨日は、自分が言葉を記憶するシステムを探すワークをした。
私は、自分は二種類の記憶システムを持っていると気がついた。
一つは絵と言葉。
この絵は、空想の絵ではなく、目で見える絵。
そして、その方法は、私にとって、すごく楽しい方法だということ。
もう一つは、音だけを記憶するシステム。
これは、その場の誰もわからないバスク語を5つ、音だけ聞いて覚えられるかという実験でわかった。
まあ、これは知っていたといえば、知っていた。
私が、クリーンランゲージのセッションを英語でやる時、いつもやることだからだ。
長らく習ったピアノの聴音で鍛えられた技だと思う。
意味がなければ、言葉はドレミだ。
私が記憶するのが一番難しかったのは、バスク語と英語が並べてあり、意味が同時にわかる時に、言葉を記憶することだった。
私以外の人も難しかったようだ。
そして、私自身では気がつかなかったが、私は、無意識に、指でリズムを取り、メロディをつけて、言葉を記憶していることが発見された。
私は、自分がどうやって日本語を覚えてきたのかに気がついた。
絵本を読んで、歌を歌って、そうやって、日本語を覚えたんだなと。
これは、私に、母にもう少し優しく親切にしようという気を起こさせた。
なぜならば、母曰く、私は、一才になる頃には喋りはじめていて、四才になる頃にはひとりで絵本を読んでいたからである。
誰が、私に歌を聴かせて、誰が、私に絵本を読んだのか?
当時、私の父はほぼ外国にいた。
そして、誰が私にピアノを習わせたのか?
発案者は、私自身ではない。
私がピアノを習ったきっかけは、叶わなかった母の夢だ。
そして、それから、私は、おいお前らと、過去の私たちに、再び、文句を言った。
彼らはネバーランドに送りこんであるので、聞こえはしまい。
私の中で構築されていない記憶システム(言葉と意味を同時に記憶する)がなぜ構築されていないかというと、そりゃ、ちゃんと勉強せんかったからやと気がついたからだ。
感動と文句はセットである。
まあいい。
私、今、やっているから。
そして、もう一つのこと。
数日前から、私は、英語でブログを書き始めた。
そこで、私が取り上げたのは、日本についての紹介と、それについて自分が思うことだった。
日本人として。
以前から、私のブログを長く読んでくれている方には、どんなにすごいことが起きたかがわかるかもしれない。
感慨深いですね。なんともね。
私が自分のブログで、英語で語ろうとしたことが、日本についてだったこと。
そして、書く時は、考えると書くが同時にできること。英語でも。
ここで私は、また一人、今度は小さな私に感謝した。
なぜにそれはできるかといえば、それもまたトレーニングの成果だろうと。
それから、やたら文章を書かせた小学校低学年三年間の先生三人と、中学一年の時の先生、計四人に。
そうか、あれは、単に文章の練習ではなかったのかと。
新しい言葉を覚える、考える、自分を俯瞰する、表現するとかいろんな要素の練習が入っていたんだな。
そして、文章を書くのがとても気に入って、毎日毎日、文章を書き続け、詩を作り、紙芝居を作りして遊んでいた小さな自分にも感謝した。
小さなあなたが、今に続く習慣を作った。
習慣を作るのがいかに大変か、知っている。
楽しかったからやっていただけでしょうけど、ありがとうね、ネバーランドで聞こえないでしょうけどと、私は思った。
楽しい、面白い、が、効率的な学習にいかに重要かは、過去三回、ワークショップで、皆の間で何度も浮上している話だ。
それから、リラックスできること。
それは、私が今読んでいる、アンリミテッド・メモリーという、難読症なのに世界記憶力コンテストで優勝した人が書いた、人間の記憶力には限界はないがテーマな本にも書いてあった。
そして、ワークショップの最後、自分の課題発表の時間、次のワークショップがあるまでの二週間、私は、「学習を楽しむのを続ける方法を探求する」を、私の宿題にした。
その時、私は気がついた。
「あれ?いつもよりスムーズに言葉が出る。なんで?」
そして、聞こえること、意味がわかることが大事なんだと気がついた。
リラックスするから。
楽しくなるから。
面白くなるから。
それから、話すんだな、と。
そして、母に優しくしよう、と、もう一度決めた。
私に見えたはずがない見たはずのない風景が、私の目に浮かんだからだ。
それはある若い女性が、一生懸命、彼女の赤ちゃんに、歌ったり話しかけたりしている姿だった。
まあ、このような勝手な妄想が、老いた親との関係をスムーズにするなら、それもまたよしだ。
人を悪く思うより、人に感謝してる方が生きるのが楽だからね。
それにしても、単に、英語〜!と思って参加しただけだったのに、拾いものが多いこと。
残り三回、何を拾う?