嘘偽り

嘘偽りなく、というフレーズがある。


ここしばらく、同じ仕事(セッションの方)をしている人たちと何度か話す機会があったのだが、みな、似たようなことを言っていた。


それは、個別にやっている勉強会みたいなもので、こういう場合はどうするか?という実例研究みたいなものを、時折、続けている。


そんな中には、不思議なもので、たまに、その時流行りの傾向がある話題があるのだ。


ああ、私のとこでもそれはある、私のとこでも、という感じ。

守秘義務があるので、具体的な話はそれぞれ言わないが、内容として。



ここしばらくの話では、最近の傾向としては、今、しんどかったり、行き詰まっている(気分になっている)人達には、共通の要素があるという話になった。


それは、自分の中に嘘偽りがある、という要素だ。


善人でいたい、立派でいたい、高潔でありたい、人の役に立ちたいというような、いわゆる「善」でありたいという思いや、認められたいという思いが強く、なおかつ、自分では自分を認めていない、または、認めたくない現実がそこにある時に、起きているようだった。


そして、自分の中に、それらがあると気づかないまま、他人をも、すでにそこに巻き込んでしまい、それで、話がややこしくなっていっているか、ややこしくなりつつあることに気づかず、周りから人が去ることに首を傾げているか、そんな状態。



そして、こうありたい自分の姿が強すぎて、本当の自分の姿を見ようとしない、そういう時のことを、「嘘偽り」または、「嘘がある」と、それぞれは表現した。



不安や恐れを受け入れられずに、あがく結果に、それは起きているようでもあった。

くたくたな状態だ。

エネルギー不足。


必要なことは、心の癒しだが、それは断固として拒否している状態も共通していた。

理由は様々だ。



そして、共通事項は、他者からエネルギーを奪うことで、その心の嘘偽りを埋めようとしていることだった。



そこに、愛はありますか?



結局、最終的には、こういうのはテクニックでは救えない、心が愛で満ちているかどうかという、古式ゆかしいことでしか無理やなという話になった。



おかしくなっている人に、おかしいよと言っても、話は通じないのである。

そんなことは、みな、知っている。


犯罪一歩手前のことを、本人にその意識がないまま、美しい話としてやらかしてしまう人も、最近は多い。

現実に心が疲れている人たちが、その美しい話にひっかかる。

話だけなら大したことはないが、金銭が動けば、それは詐欺だ。



しかしながら、本人の選択は何よりも強い。



嘘にまみれておかしくなることで、この時期を乗り越えていくことも、また、やり方のひとつだ。

心の防衛機能が働いているのだろう。


人間はそんなに強くない。




そして、本人の選択は、尊く価値あるもので、尊重されるべきだ。

いつでも。


それは、その人の人生だから。

その人が経験したいことを、その人は経験する。



奪う経験をしたいなら、奪う経験を。


自分の中の嘘偽りを埋めるために、他者からの賞賛を得たいなら、賞賛を得る経験を。


やりたいように人はやり、生きたいように人は生きる。



ま、それでいい。



しかし、勉強会では、嘘偽りに手を貸したら、こちら側が自分に嘘偽りがあることになるから、そこがまたややこしいわな、という話になった。


何も気づいていないふり、だって本人が気づいていないんだもの、それしかないわということになった。


本人を尊重する、人生そのものには介入しない、というのは、私の仕事の大前提だ。


人をサポートしたくて、仕事をしているが、それはあくまでも、ご本人が望むならという話だ。


そもそも、人生に正解はないという大前提がそこにある。



それらの勉強会のあと、私は、私で、私の中を覗いた。



そして、思った。


私が愛だと思わないものに、私は手を貸せない。

人から奪うことには、手を貸せない。

犯罪にも手を貸せない。

嘘を塗りたくるためにも手を貸せない。

誰かの虚栄心を満たすためには手を貸せない。


それは、その人が、罪を犯すのを手伝うことだからだ。

気づかずに罪を犯す本人より、気づいていたのに手を貸した人の罪の方が重い。


(私、クリスチャン。笑)



それをすると、私の中に嘘が生まれる。



私の仕事は、その人が、自分自身を正面から見るのを手伝うことだ。


本人がそうしたくない時は、私にできることはただ一つ。



それが、私の愛だ、という答えになった。


他人に嘘をつくのはいいが(道徳的にはあかんが、まあいいが)、自分に嘘をついた時、人生はうんとややこしくなるというのはセオリーだ。

ややこしい方に転がり続ける。


でも、そうしなければ生きていけないくらい、しんどい時期があるのも事実だろう。



なんでもいいから、みんな、生き抜いて、となんとなく思った。

大事なことはそれだけだ。

生きていればそれでいい。


ただし、私は、嘘偽りに、手は貸せない。

そこには、私の思う、愛はないから。

私がここを譲ったら、私の全てが嘘になる。