祖母の刷り込み

子供の頃、父方の祖父母について「おじいちゃんとおばあちゃんがどこに住んでいるか、人に言ってはいけない」と母から何度か言われた。

祖父母は一時間少し離れた場所に住んでいた。
なんで?と聞くと、誤解されるから、と母は答えた。
父が高校を出て就職する時には、会社の人が、その住所のために調査に来たらしい。
父は調査の結果、就職できたが、家の住所のために仕事に就けないことがあるとは、子供の私には、何とも不思議な話だった。

ちなみに、私の通った地域の学校では、住所による差別についての教育を、私の学年からやめていた。
住所も変わった。
古い地名を無くしてしまい、わからなくしてしまったのだ。

それで、私は知らなかったので、母の言うことは余計に意味がわからなかった。
私は、貧乏くさい長屋に住んでるから?と尋ねたが、母は笑って、違うわよ、と言った。


私は祖父母の家が好きだった。
母は嫌がったが、夏休み、そこの近所の子供たちと遊ぶのも好きだった。

アカセンのオキヤの息子と駆け落ちしてきたという近所のおばちゃんは、血の判子が押してある何か書いたものを見せてくれて、旦那さんとの恋の話を私に聞かせてくれた。
アカセンのオキヤの意味はわからなかった。

お向かいの長屋のお兄さんとお姉さんは抜群に頭がよかった。
私は宿題を見てもらった。

狭い路地が入り組んだ街並みは、鬼ごっこやかくれんぼには最適だった。

遊びに行くと、祖父母は言った。
「あの踏切りの向こうには、いったらあかん。怖い人がぎょうさんおるからな。危ない。」

そう言われれば、子供たちは行く。
近所の子供たちと私は、何度か、こっそり踏切りの向こうに向かった。
踏切の向こう、そこは魅惑の世界だった。
その頃テレビでやっていたホルモン焼きやの少女が登場するアニメのモデルになった地域にほど近い場所だった。

家の近所では見ることがない景色が広がっていた。
怖そうな大人、何をしてるかわからない大人、よくわからない人がたくさんいた。
私たちは、ドキドキしながら走ってそこを探検し、駄菓子屋さんでラムネを飲んで、帰った。
後から小さい妹が、ついうっかり口を割り、ばれて、祖母に「あかんて言うたやろ!」と怒られるまでが、その遊びのセットだった。


夜、眠る前に、よく祖母は家系図を書いて私に説明した。
祖母の話はいつも同じように終わった。
「ほんで、この人。あんたのひいじいさんが、発明にはまり込んで、家の財産を全部使い果たし、家を潰した。裕福な網元やったのに。」

私は、そこが大好きだった。
発明家のひいおじいちゃん。
潰した、というのもなんとなくドラマチックだ。
祖母によれば、とんでもない変人だというひいおじいちゃんに、会ってみたかったな、と思った。

「お家を再興せなあかん、あんた、女の子やけど跡取りやからな」と祖母は私に言って、ほなおやすみ、で夜は終わった。
(これについては、父と祖母が言い争いをしているのを、もう少し大きくなってから何度か見た。私と妹の名前がひらがななのには、好きに生きろという、父の強い意思表示が含まれていた。)

ともあれ、祖母の語る先祖の話は、変な人がたくさん登場し、まるで、お笑いものがたりのようで、私は好きだった。


楽しい夏休みの思い出がたくさんある場所が、私にとってのその地域。




やがて、大人になった私は、ある時、父の口から聞いた。

お父さんは、あそこが嫌いだ。
お父さんの人生は、あの貧乏な長屋から始まった。
なんでおやじとお袋が、わざわざ、あそこを選んで、住んでいたかはわからん。
他にも場所はなんぼでもあるのにな。
あそこから這い上がるところから、お父さんはやってきて、そして、今、ここや。
人にどう見えるかはわからんが、お父さんの人生は上出来や。
自分で言うのもなんやけど、ようがんばった。


やがて、祖父が死んだ。
障害者になり40歳から無職だった祖父のお葬式には、びっくりするくらいの人が来た。

私が、その中の一人に声をかけたところから、今の私に話は繋がる。
祖父が何をしていたのかを、私が知ったところから。


父はそこから這い上がり、抜け出し、私達姉妹に、恵まれた環境を与えた。

そして、私は、わざわざまた、自ら、そこに突っ込んでいこうとしている、ような気がする。
住所ではないけれど。


巡る巡るよ、時代は巡る。
喜び悲しみ繰り返し。

苗字は残してあげられなかった。
自由に生きなさいと父や母がくれた自由で、私が選んだのは、結局、跡取りさん、のような気がしている。

そして、お家の再興だ。

どうも、2つ一気にやろうとしている気がする。
祖母の刷り込み、いとすごきかな。。。