心の春休み

今年は、春休みだな、となんとなく思った。

少し前までは、停滞を感じていた。
ここにも書いた。

やがて、さて、また進もうという気分になった。
同じ頃、ここ数年、努力し続けてきたことに結果が出た。
そして、それから、私は週に一回、クリーンランゲージの応用のフィールドワークのためのバイトをはじめた。


バイトを始めてしばらく、必要な資格に気がついた。
足を踏み出してみてわかることがある。
足を踏み出さない限り、目には入らない。
私がクリーンランゲージを応用したい分野のどの場所向けに、それを構築していけばより多くの人の利益になるかを、私は考えた。

そして、来年から、そのために2-3年、大学で勉強することを決めた。
夏が終わったら、単位に認めてもらえ、なおかつ、バイトの時給もあがる資格があるので、その講座に通う。
単位で取るより、その方が効率もいい。

大学を卒業して、国家試験に通ったら、次は、再びフルタイムで働く日々が待っている。
私の言葉が説得力を持つためには、数年は必要だろうと思われる。
応用するために、実際のケースを集めないといけない。

おそらく次が、最後の勉強だ、と、私は思った。

ここまで数年、英語と格闘してきた。
それはまだまだ終わるわけではないが、次に勉強することは、日本語で書いてある。
そこに存在する文化は日本だ。
楽勝だと思った。


そして同時に進めている話が、もう一つある。
今までやってきていることも、私は手放すつもりはない。

セッションは依頼がある限り、口と頭が動く限り、私を必要とする人がいる限り、やめない。



ああ、来年から、ここまで過ごしてきた、ゆっくりしたペースの生活が終わるなあ、とふと思った。

そして、今年は、境目だな、春休みだなと思った。

そうしたら、肩がどんどん軽くなった。
私にとって春休みという単語には、何かそういう力があるようだ。

背負う必要がない色々を背負ってきたような気もしたし、何か解放感すらある。
ああ、心がそれなりに疲れてたんだなと思った。


ゆっくりしよう。

しばらく、撤退的に、心を自分のために使おうと思った。

しばらく、私のメンテナンスだ。
つまり、精神的な話から、少し離れようと思った。

私にとって、それは仕事だ。
しばらく、心を、しょうもない話でいっぱいにしてみよう。