メリーポピンズの家事修行
私は、料理は下手ではないし、普通に作れるが、楽しいと感じながら料理をしたことはない。
母は、子供のおやつまで自分で作る人だったから、生育過程ではかなりきっちりした食生活を送ったにもかかわらず、私は食にこだわりがない。
美味しいものは好きだが、食べる行為がめんどくさい時があり、何かしながら手早く食べられる〇〇メイトを昼ごはんにあてることがよくある。
栄養バランスは考える。
時に1日、食べるのを忘れ、手が痺れてきて朝から何も食べてないことに気がつくことすらある。
食べる、は、私の中で優先順位がなぜだか低い。
私は空腹感に鈍い。
おそらく、それも関係しているだろう。
普通にできることもあり、私は、料理には興味を持たずにきた。
料理は、やらなくてはいけないこと、であり、やりたいことではなかった。
嫌いではないが、やりたいことではなく、特に好きではない。
夫は、作ってもあまり喜ばず、この人はまた、お腹いっぱいになればなんでもいいタイプのため、私の料理へのやる気は結婚したあとも、スイッチが入らなかった。
ところがだ。
先週、私はある人に出会った。
先週私は、クリーンランゲージのフィールドワークとして、人の家に出かけて行き、掃除と料理を作るというアルバイトを始めた。
その人は、2人目の人だった。
長年、丁寧に暮らしてきた人しか住めない居心地良く作り上げられた家のキッチンで、普段はしないエプロンをして、私はその人から料理を教わることとなった。
なぜならば、その人は本を出さないかとオファーが来たほど、料理が上手い人だったからだ。
研ぎに研がれよく切れる包丁で、玉ねぎのみじん切りを作ることが、私の最初のミッションだった。
みじん切りは切り方に指定があったが、その方法は、母が子供の私に教えたものと同じだったので、私は安堵しながら玉ねぎを切った。
その人は、私に、素晴らしく効率的な飴色玉ねぎの作り方を教えた。
その人は、料理は科学なのよ、全てに理屈がある、と言いながら、理屈で料理を語った。
そして、理屈と共に手順を私に教えていった。
私は、すごい!とか、わあ!とか、声を出しながら、本気で感動していた。
誰のためでもない、料理そのもの、家事そのものを楽しむ姿がそこにあり、私は、何かとても純粋なものを見ている気がした。
それから、掃除をして、それもいろいろ教わり、最後に書類を書いていた時に、その人が、私に言った。
来週もまた楽しみにいらっしゃい。
あなたは〇〇は作れる?
私は、来週が楽しみになった。
まるでお金をもらって、家事や料理を習いに行くみたいなもんだ、と思い、腰を曲げて、ありがとうございました!と言ってその家を出た。
後から。
わかった、と思った。
私が見たことがなかったものがわかった。
家族のため、子供のため、パートナーのため、誰かを喜ばせたいという動機、義務でされる料理、仕事としてのしか、私は見たことがなかった、ということがわかったのだ。
それが事実かどうかはわからない。
ただ、私の理解はそうだったということがわかったのだ。
食べさせる相手、が、常にそこには存在している。
だから、食べさせる相手の反応が、作るモチベーションには影響する。
子供がいれば、もう少し、美味しそうに食べてくれただろうから、もっと料理に手をかけたかもと、実際、私はよく思った。
自分は食べものは何でもいいのだから、まさに相手の反応ありきだ。
私は、料理を作るそのことそのものを、こんなに楽しそうに語る人にはじめて出会った気がした。
そして、長年、ヘルパーと付き合ってきたその人は、教えるのがとても上手だ。
そして、それから。
私は、家で習ったものを作ってみたくなり、作ってみた。
そうしたら、それを食べた夫が、5回も美味しいと言った。
感情表現の薄い人には、普段、ないことである。
よほど美味しかったのだろう。
私は、その日、丁寧な段取りで作りあげたことに満足していたので、夫の反応はどうでもよく、夫に美味しいと言わせたかったわけではなかった。
それは美味しいに決まってるからだ。
しかし、褒められればやはり嬉しい。
しかし、美味しいと言われることが、おまけだった。
あ、、、と私は思った。
好きなことをしている時、相手の反応はどうでもいい、しかし、相手は喜ぶことが多いという、いつものパターンをそこで思い出したからだ。
あ、、、と、私はまた思った。
今日、私は、料理をするのが好きだった。
あ。
出会いは人を変える。
基礎的な包丁の使い方は、母から小学生の時に習った。
我が家は、りんごが食べたいと言うと、自分でむけと、りんごとペティナイフが登場した家だった。
料理が好き、暮らしが好きな人から、それらをしばらく週に1回習うこととしよう。
その人の体には障がいがあるが、その人の人生の豊かさや、その人が滲み出している生きる喜びはすごいパワーがある。
何か根本がまたひっくり返りそうな予感がある。
何しろ、メリーポピンズは、そもそも家政婦だ。
家庭や家族の中で、暮らしや人生を幸せにする魔法を使う、それがメリーポピンズだ。
私の深いところが選んだエメラルドシティ、つまり、クリーンランゲージの魔法の舞台は、暮らし、人生、家族や家庭。
生きることによりそうことだ。
私に必要なリソースやサポートには、家庭的な何かも含まれるはずだ。
全く問題を含まない家庭的な何か。
さあ、始まった、と私は思った。