メリーポピンズと格差

ここしばらくで気がついたこと。
2つ。
2つは微妙に絡み合う。


まずひとつ。
対応する相手(顧客)やその家族が、ストレスフルな状態のため、非常に高度なコミュニケーションスキルやメンタルコントロールが必要な場面で働く人たちに、コミュニケーションスキルの情報や届いていなかったり、また、トレーニングが行われていなかったりすることがあること。

また、それを受ける時間も費用も、持たないことがあること。
いい条件を得ようと思えば、上位資格を取っていく必要があるが、そこには費用と時間が必要なので、無理な人が多いだろうと思われること。

その仕事は、確実にだれかがする必要があるが、賃金が低い水準で設定されていること。
アルバイトの時給は低くはないけれど、社員の給料は高くない。


そこは、共感的理解の主戦場だが、共感的理解もやはり万能ではなく、限界があること。
スキルとして教えられていない共感は、同情と混同されていること。
そしてそれが、問題を生んでいること。



2つめ。

誤解を恐れずに書こう。

私は、生まれた時から、わずか1、2パーセントしかいない人達の中で生きてきた。


そして、今もその中にいる。
周囲も似たような感じだ。
夫も似たような環境で育っている。

私がそのことに気がついたのは、割と最近のことになるが、そこに気がついた時に心底驚いた。

なぜならば、私の育った家はお金持ちのイメージにはほど遠かったからだ。
そして、今も非常に庶民的な暮らしをしている。

私は、常に仕事はしているが、夫の働く意義のため、生活は「夫に養われる」ことを選択している。
私がお金になるならないを割と選ばずに、自分が意義を感じるか感じないかだけを基準に仕事ができるのは、夫がいるからだ。
だから、話は夫の給料だ。

彼は高級取りではない。
しかし、そのことをテレビで見た時、私、それから夫も驚いたのだが、それでも、彼の給料は、人口の2、3パーセントしか貰っていない金額なのだという。

まじか、と2人は驚いた。
この驚きは、いい驚きではない。
どうなってるの?という驚きだ。


そして、私たちは、生まれた時からその中を生きていて、本当に狭い狭い世界しか見ていないのかもしれないという話になった。



1つめと2つめは微妙に絡み合う。

コミュニケーションやメンタルコントロールはスキルで、お金を払えばいくらでも可能になる、買える知識だということは、私の周りでは常識だ。

物の考え方、思考、は買える。
そして、それは、働く中では有利に働く。

私が、時に、すごいと言われても、自分は全くすごくないと思うのは、私の頭の中は、お金が作った思考だからだ。
私は、生きるために、思考を買った。
最近であれば、クリーンランゲージというスキルを買ったのだ。
ただ、それだけだ。


お金を何に使うかは、その人の価値観だから、買う人も買わない人もいるが、それは、その人の価値観に由来するのであって、経済的なことに由来しているわけではない。



ひとつめとふたつめは絡み合う。
そして、ある格差は確実に存在する。

そして、以前から私の中にあったけれど、おぼろげだったものが、少しはっきりした形を作り始めた気がした。


メリーポピンズが、手を伸ばそうとしている魔法の舞台背景が、少しずつ形を作り始めた気がした。