メリーポピンズの進路指導
私が〇〇したいと言って、なんで?と誰がが聞く時。
その理由で、周りが一番納得するフレーズは、「ふと、思ったから」だ。
実際、ほとんどの場合、理由は後からわかったり、後づけだったりする。
〇〇したい、と思う最初の瞬間、ほとんどの場合、私は自分がそうしたい理由を知らない。
例えば、水を飲みたい時は水が飲みたいのであり、喉が渇いたからという理由が浮かばない。
喉が渇いたな、水を飲もう、とはならない。
いきなり、水が飲みたい、と浮かぶ。
喉が渇いた、は、問題だ。
水が飲みたい、は、望みだ。
そして、水を飲みながら、ああ、喉渇いてたんだな、と思うことはたまにある。
望みが叶う瞬間に、問題が存在していたことを知り、自分の望みが問題を解決するための望みだったことを知ることは、非常によくある。
私の人生は、問題だらけだが、ただ、私は、それらを望みとして認知する「癖」がもともとある。
問題は詳しく言語化しないで、それを解決する方法を言語化する。
だから、一見、私の人生は、望みだらけだ。
だけれども、起きていることは、ああ、喉が渇いた!と水を飲まずに言う人とまったく同じだ。
私の体は、快楽主義で、喉が渇いた状態に対する忍耐力が低いのかもしれない。
思考は、割と忍耐力があるから、問題を考えさせると耐えようとする、だから、問題を教えないのかもしれないと、たまに思う。
そして、何かしたい理由を知らないことは、私自身には不安や恐れを生まない。
若い頃は違ったけれど。
なんで?と自分でよく思い、自分で〇〇したいの理由が理解できない時、その〇〇したいを、私は潰した。
理由が理解できないこと、方法が浮かばないことは、恐怖だった。
今、私は、〇〇したい理由は必要としない。
したい以外の理由はいらない。
理由は、自分がしたいことを他人に理解してもらったり、協力を得る必要がある時だけに必要だ。
そして、ほとんどの場合、協力を得る必要があるので、私は考える。
「私が〇〇すると、次に何が起きるか?」
すると、理由が登場する。
「私が〇〇したいと思う前に、何が起きたか?」
すると、モチベーション(動機)が登場する。
細かく探りたければ、さらに考える。
「それについて、他に何かあるか?」
これらは、クリーンな質問だ。
クリーンな質問は、プランニングやプレゼンの資料作りにも使える。
「生み出す」時なら、なんにでも。
答えは、生み出すその人の中にある。
さて。
昨日、決めた〇〇したいは、家族には少し影響があり理解を得る必要があったので、家族に説明する必要があった。
先に友達に話し、そこで、なんで?と友達がそこに興味を持ってくれたので、私は、〇〇したい理由をそこで「考えた。」
そして、理由を知った。
いろいろ伝えて、そして、「まあ、結局、ふと浮かんだだけなんだけど」と私は言った。
それを聞いた友人は、それが一番説得力があるねと笑った。
来年、もう一度、大学生になろうと私は決めた。
通う時間はないから、通信制で3年生に編入だ。
国家資格の受験資格を得るためだ。
私が、クリーンランゲージを応用したい分野について語ろうとするなら、少なくともその資格が必要だろうということに気づいたからだ。
大学生に戻ろうと思った後に。
なんでや?となって、現れた理由がそれだ。
その分野は外国にもあるが、日本特有の状況がある。
誰かが応用していたとしても、これは翻訳では無理だ、日本語で書く必要があると思った。
私は生まれてはじめて、進路、について、まじめに考えたような気がした。
遅。。。
この資格は、私が高校生の時には存在しなかった。
クリーンランゲージも、まだ日本には入ってきていなかった。
そして、大学を調べるのに母校を見て、私は、ああと思った。
高校生の私が口にしたものがそこにはあった。
あの頃、そこがあったなら、迷わずそこを希望しただろうという学部が数年前にできていた。
私は高校から大学へ、内部進学しているが、私の時にはその学部がなかった。
やけくそな女子高生は、浪人するのが嫌で内部進学しか考えなかった。
時代だな、と思った。
人生には、自分以外の要素、時代と言う要素が存在する。
今からだねえ、と私は思った。
それは、これまでここに書き続けてきたこと、M先生が私に教えたこと、私が、心だけではなく現実を救わなければ意味がないと考えていること、幸せは心だけが生むのではない現実が最も影響する、現実は心を癒す力を持つと信じていることと関係する。
そして、黄色いバスにも繋がる。
私が深く祈ることと関係する。
それにしても。
たったひとつ。
現れたメリーポピンズというメタファーが、10日ばかりで、私の進路を決めた。
Metaphors are great.