老後のはじまり
祖父母3人が亡くなった後、私は、アクシデントや何か別の流れに巻き込まれて亡くなる場合を除いては、人は、生きてきたように年を取り、生きてきたように老後を過ごし、生きてきたように死ぬものなんだろう、と感じ始めた。
笑っていた祖父や笑っている祖母は、若い頃(と言っても私は彼らの五十代以降しか知らないけれど)から、やはり、よく笑っていたし、口が悪かった祖母は、やはり若い頃からよく怒り口が悪かった。
そして、その人の最後の願いや、その人が伝えたいことが、その死を通して現れるような気がし始めた。
こちらが勝手に感じるだけなので、それはその死に関わる人によって受け取り方は違うかもしれない。
生きて口で語る言葉より、それは、強烈なメッセージを持っているような気がした。
呑気な父方の祖父は、呑気な息の引き取り方で、最後まで皆を笑わせていった。
彼は何でも笑いにした。
嘘か本当かわからないことで、彼の人生は満ちていて、その死まで、嘘みたいだった。
母方の祖父は、娘4人が号泣しながら、お父ちゃんと呼ぶ中で逝った。
彼は、いろいろ大変そうな人生を送ったが、娘たちを、とても愛していた。
祖母は、お正月明けすぐに、一度死にかけて皆を病院に集めた。そして、今日は大丈夫そうだと祖母に見送られるように皆は帰り、父だけ残っていた時に、亡くなった。
祖母は、お正月にみんなが集まるのが好きだった。
いつものようにみんなを見送って、人前では泣けないだろう息子だけを残した。
彼は、彼女の最愛の息子だった。
老後はいきなり現れない。
今、未来を不安に生きるなら、老後にもやはり、未来が不安な日々が待っているような気がしている。
幸せな老後が欲しいなら、今日を、幸せに生きる努力が最も効果的な気がする。
私が知る限り、彼らを支え続けたひとつに、思い出、がある。
そして、好きだったこと。
身体が不自由になっても、それはその人を助けるみたいだった。
過去の中を生きることで。
というわけで、そのパートを作るのをサボると、老後のリソースが少なくなりそうな感じがする。
へんな話、お金は未来で、一瞬で調達することもできるのだが、思い出は時間をかけないと作れない。
未来を救うのは、いつでも今だ。
未来を不安がるだけ時間に今を使うか、未来を助けるための時間にも今を使うか。
それぞれの老後は、大人になった瞬間から、始まってる気がする。