ガイドラインとルール

先に書くと、私は根が真面目ではない。
ほとんどのルールは、遵守すべきものではなく原則だと思っている。

もう長い間、精神的なことや心のことに関わってきているけれど、その中で気づいたことがある。

真面目な人ほど、時間がかかる傾向があるということ。


やがて、理由は、ルールを遵守しようとするからだと気がついた。

心の中のルール。精神的なルール。



だいたい精神的なことや心の中のことで、新しい何かを取り入れる時、そこには手順や方法を示してくれていることが多い。

しかし、それは一般的なガイドラインに過ぎないことも多い。
そのようにしか作れない。

なぜなら、心や精神は、人によって個性があるからだ。

ガイドラインで示されていることは、それを作った人には効果があり、また、他の人にも効果があることが多かったものだろう。

しかし、人には個性がある。
心や精神の働きや、何に影響を受けるかは千差万別だ。

心や精神に関わることについては、ガイドラインに自分を合わせていくよりは、自分に合うように、ガイドラインに工夫をする方が早い。
こういう効果がある、と言われていて、ガイドライン通りにやって、その効果が得られないなら、それは、その人には、そのガイドラインそのままでは合わないだけの話だ。


それらは、正しくその手順をこなすために作られたものではない。
それらは、効果を得るために作られたものだ。

心や精神に関わることに、たったひとつの完璧なものはない。
70億人、人がいれば、心や精神のパターンや働き方は70億通りある。
そう、私は思う。
実際、人によって、脳は違う。


だから、自分に完璧なガイドライン、それを求めるなら、カスタマイズするしかない。

自分に完璧に合うガイドラインを探し続けるよりは、その方が早い。
私が気づいた傾向は、真面目な人ほど完璧なガイドラインを探し続けるということだ。
そして、自分に合わない箇所を見つけたら、手を引いてしまい、また、一から別のガイドラインでやり直すことがあることだ。
心や精神の話だから、自分に合わない箇所は、自分で変えてしまえばいい。

リアルな信号は、赤は止まれ。
これは止まらなくちゃいけない。
でも、心の中の信号は、赤が止まれとは限らない。
赤の持つ意味は、人によりけりだ。

ガイドラインに、赤は止まれ、と書いてあったとしても、人によれば、赤は飛べ、かもしれない。
ならば、飛んでみれば早い。
失敗したら、また別のことをしてみればいい。

ある人には赤で止まった時で起きることが、別の人には走った時に起きる。
真逆のことをした時に同じことが起きる、そういうことがあり得るのが、心や精神の中だ。


実際の例としては。
私自身の話だけれど。

集中する時に、静かな場所の方が集中しやすい人は多い。
私は、逆だ。
賑やかな方が集中しやすい。
音はあった方がいい。

また、自然しかない場所は心がリラックスする人は多い。
私は、全く人工物がない場所は怖い。
そして、ビルに囲まれていても、リラックスできる。息はつまらない。
都会で育った人は、私みたいな人は、割といるんじゃないかと思う。


心や精神が受ける影響は、ある固定のことが、全ての人に同じように影響はしない。
人は様々。



どのガイドラインも、最終的に目指す場所は、ほとんど同じように見える。

目指す場所の名称は様々だし、どのようなことをそういうのかという解釈は、ガイドラインを作った人の価値観で分かれてはいるが、ようは、シンプルに、人を幸せにしたいという気持ちが、どのガイドラインからも見受けられるように思う。


幸せは様々なので、ガイドラインを作った人が考えたそれぞれの幸せと、何を幸せを妨げるものと考えるかで、手法や目的地は分かれているだけのように見える。

いまや、ガイドラインは選びたい放題だ。
古今東西、バラエティに富む。
特別なことでなくても、日常の中で、それらのガイドラインと同じ効果を持つ動きもあるかもしれない。


真面目な人がやってみるといいのは、もしかしたら、心の中にある、ルールは遵守するというルールを破ること、なのかもしれない。