修正作業

単語の持つ力の話を少し前に書いたが、今日突然、これは!と、自分自身にその事象が発生していることに気がついた。

この場合、その単語の元は英語で、日本語は音を模したカタカナだ。
私は元の英語にも、カタカナにも、どちらにも触れる。

どちらも同じ定義を持つ。
当然だ。
日本語のカタカナの単語の定義は、英語を訳したものだ、


ところがだ、、、、。

どうやら、私の体は、英語とカタカナを別の単語だと理解しているようだと気がついたのだった。

ふとしたことで。

ある大したことはない疑問を、なんでだろうね、、、と考えていた時に、ふと気がついたのだ。

あれ、英語の時と、日本語の時とで、単語を見たり聞いたりした時の体の反応が違うよ、と。
注意深く観察すると、頭の動きが特に違う。

日本語のその単語を見ると、頭は考えるのをやめたがる。
そして、体が重くなる。

英語のその単語は、私の好奇心を刺激する。
そして、胸のあたりがポカポカする。


人は言葉の意味を辞書で理解しない。
自らの体験から理解する。

まさにそれが、私の体で起きているようだった。

日本語の単語と、英語の単語を、私は異なることとして理解している。
片側を自分を重くするものとして理解している。

これはまずい、、、と、私は思った。
なぜなら、2つは同じものだからだ。
そして、私は非常にしょっちゅうその単語に触れるのだ。


これは単語の定義、意味、理解を修正する必要がある、と気がついた。
日本語の単語に伴う新しい体験をする必要がある。

英語の意味を「理解」する必要がある。
日本語として、はっきりと。
体で。


幸い、気がついた時にはすでに、私の体はその修正作業に手をつけていた。
UFOは素晴らしい。