ひとのメタファー

現実の人間も、メタファー的に働くのだな・・・。
実際には、その人そのものではなく、自分の中にいるその人。
自分が自分の経験からそういう人だと認知しているその人。

誰かの顔を思い浮かべて、よし、頑張ろうというようなことは、私はほとんどないのだけれども、あるイベント告知のwebページを見ていて、そこに並ぶ6人の人の顔を見ていたら、それだけで用が済んでしまったような気分になって、ああ、これメタファーと思った。

イギリスであるそのイベントに私は参加できないのだけれど、そのイベントに参加したら尋ねられる質問は知っている。
問いかけられる質問はこれ以外ない。

What would you like to have happen?

並ぶ写真を見ると、その質問が頭の中に浮かんで、そして、答えが浮かんだ。
私は、自分の望みを知った。

それは、今までに思ったことのない考えだった。
望みとしては。

そして、その望みが浮かぶと胸がポカポカしたので、この望みは正解ということだろう。
望みにも、あたりとハズレがある。

自分を幸せにしないものはハズレで、自分を幸せにするものがあたりだ。
私個人的には。

それを見分ける方法は、その望みが浮かんだ時の、胸の感覚だ。
ワクワクするのは、私の場合、あまり当てにならない。
なぜなら、私は、特別なことでなくてもしょっちゅうワクワクする気質で、ワクワクは特別な感覚ではない。
楽しいという感覚も特別ではない。

胸がポカポカする感覚は、しょっちゅうではないので、わかりやすい。
それは本当に温かい、胸が熱を発するような感覚。