やろうとしているかもしれないX
すごいよなと思うのです。
もともとすごいと思っていたけれど、この一年、私はすごいと思い続けました。
何がって、メールに。
前にも書きましたが、私のトレーナートレーニングは羊の放牧スタイルで行われております。
メールは好きな時に自由に送ってきなさいとなっています。
それで、私は進捗や気づきを好きな時にメールに書いて送り続けてきました。
メールの長さはいろいろです。
それに2人から返事がきます。
返事はだいたい短いです。
短いですが、私はすごく励まされ、さらにそこに書かれた内容について、だいたい10日くらい考え続けることになります。
のりとしては、先生にメールを書いているというよりは先輩でもある友人にメールを書いているという気楽さです。
近況などもまじえて書きますから。
しかし。
すごいよなあ。
こんな風になりたいなあ、と思います。
そして今、私は、直近に届いた返信について考えています。
「あなたが〜になるプロセスを楽しんでいるのははっきりしているわよ」と書かれていたその一文。
〜の部分について考えています。
いわば、それは、クリーンな質問の中のX。
ご本人が注意を向けていないけれど、注意を向けてみるといいかもよという場所。
私は「〜になるつもりはない」と、過去に彼らに言ったことがあります。
でもまあ、私が行動でやっていることはそうなのかもしれないな。
〜は、必要だからです。
〜は、リソースです。
私がシンボリック・モデリングやクリーンランゲージをたくさんの人に分けたいなら。
しかしまだ、ピンときません。
だからこそ、Xについて質問するのだろうなどと気づきました。
考えたこともないから。
人は必ず、頭で考えて行動しているわけでもありません。
私は特にその傾向が強いです。
体の方が動きが速い。
頭は、考えないと行動が変わるタイミングまで考えようとはしません。
というか、体が私に情報を渡しません。
選択が必要な時以外は。
私がなんでも書いてしまうからでしょう。
〜は、「トレーナーを育てるトレーナー」の別のメタファーっぽい表現。
つまり、私は、ただのファシリテーターではなく、「シンボリック・モデリングやクリーンランゲージを人に教えられるトレーナーができるファシリテーター」を育てられるトレーナーになるためのプロセスにいる、と、メールには書いてあったのだと思います。
つまり、トレーナーのトレーナー。
書いてあった英語はそういう意味だろう、多分。
彼らは誰でも教えられるようにモデルそのものを作った。
私が作ろうとしているのは、もしかしたら、誰でも教えられるようなティーチング・モデルなのかもしれません。
トレーナーを量産するためのモデル。
もしかしたら。
まだピンとこないから、メタファーで考えてみよう。。。
たった一文がというか単語3つが、私が気づいていない私のアウトカムに触れた感じがしました。
私はやるつもりはない、と、口では言ったけれど...まあ、やろうとしているような気はする、かもしれない。多分。