グループの共振、共創

昨日の話の続きのような話。

共鳴、共振の話。


ここ最近、実際にあった話です。



最近、私は春のトレーニングで使用するサンプルのセッション記録を作成しました。


クライアントには自分を使いました。

ファシリテーターも私です。


私のメタファーを使って、よく見るタイプのセッションのサンプル記録を作りました。


そのセッションには、アセスメントを受けて認定ファシリテーターになりたい人にも参考になるように、これでもかというくらい技術を詰め込みました。


その記録を、私は、誰にもまだ見せていません。


その記録ができた朝、私は仕事でセッションをしました。

私は仕事のセッションでは、クライアントさんのテーマによってやり方を変えますが、そのセッションではシンボリック・モデリングを使いました。


私はセッション中、「ん?」と何度かなり、最後の方は笑いそうになっていました。


なぜならば、クライアントさんが、そのセッション記録の中に登場したのと同じメタファーを3つも使っていたからです。


私が使用していたのは、そう頻繁に登場するメタファーでもありませんでした。

リソースを意味するメタファーではありました。


私はセッションが終わった後、思わずクライアントさんにその記録を見せました。

そうして、面白いですねと笑いました。



こういうことは度々あります。


クリーンランゲージを使ったセッション、シンボリック・モデリングのセッションは言葉では介入しない。

けれど、もっともっと深いところが繋がって、互いに影響を与えあっているような感覚。


そういう感覚は、度々、あります。


誰かのリソースが自分の世界に飛び込んでくること、自分のリソースが誰かの世界に飛び込んでいったような感覚。


混じり合い互いの成長を互いのリソースがサポートしようとしあうような感覚。


言葉ではない部分で。

深い深いところで。


これは起こそうとして起きることでもなく、勝手に起きること。


そこに相手との技術を超えたラポールが成立した時に。



デイビッド・グローブは言ったそうです。

クリーンランゲージは、クライアントには易しく、ファシリテーターには難しい。


私自身は、毎回、人間をどこまで信頼できるか、自分が試されている気分になります。

クライアントさんはいい状態ではやってきません。

ひっちゃかめっちゃかな考えをお持ちになることも度々。


それでも誘導はしない。


私の言葉でいうと、誘導せずにいるためには、誘導しなくても、クライアントさんは自分でちゃんとなんとかできる、自分で答えに辿りつけると、質問する側が信じる必要があります。

私がその人の力を信じられるかどうか。


ただ、これを見てみたら?とだけ言い続けることに徹することができるか。


ただ信頼し続けることができるかどうか。



実際問題、私がクリーンランゲージやシンボリック・モデリングを学んできた中で、最初に一番苦戦したのは、この部分だったかもしれません。


私は割と短気なもので。

副産物として、忍耐力が育ったような気がします。


.....


シンボリック・モデリングは、チェンジワークのフレームも持ちますが、クライアントはいつ変化してもいい。

変化しなくてもいい。


チェンジワークなのに、変化させようとはしないって何よ?!と、最初、思いました(笑)


正しくは、「変化できるための環境や条件、状態をクライアントが自分で整えていくのをファシリテーションするためのフレーム」、それが、シンボリック・モデリングでいうところのチェンジワークです。


変化の準備のお手伝いをするフレーム。

もしも変化が起きたら、それを豊かに成熟させるお手伝い。

実際あってないようなフレームではあります。

クライアントがいつ変化するかなんてわからないから。


最初の質問をした瞬間に変化し始めるクライアントもいれば、そのセッションの中では準備に入る前までで終わるクライアントもいれば、変化を始めてみたけれど「やっぱり変化はやめとく!」となるクライアントもいれば。


クライアントのプロセスは自由そのものです。


そこに私が、クライアントを信頼して、言葉なきところで、共振、共鳴、共創できるか。

どこまで相手を信頼できるか。

どこまで相手に自分を信頼してもらえるか。

ただ相手の世界だけを見つめ続けられるか。




このフレームはトレーニングの3日目に少しだけやります。

これを3日目につっこむは大分冒険。

けれど、最終、どこを目指しているのか、最初に全体像を少し覗いておくことを優先しています。


幕の内弁当みたいなものを、イントロダクションの3日間ではやります。

ちょっとずつ、いろんなものを味わう時間。


突っ込んでやるのは夏から秋に予定しているイントロダクションのパート2でやります。


やってくる参加者さんをどこまで信頼できるか、それが私が新しく始める共鳴、共振、共創なのでしょう。


トレーニングに存在するのは、私1人のリソースではありません。


そしておそらく、場をより豊かにしてくれるリソースはたくさんの「わからない」です。

わからない、は、ひとりで抱え込めば問題になりますが、みなに提供してくれれば全員のリソースになります。


私の仕事は、自由に「わからない!」「それはどういうこと?」「それどうやりますか?」「こういう時は?」が飛び交う空間、自由にのびのび失敗していただける環境(できるならトレーニングには来なくていい)、そういう変化に必要な要素を、空間に揃えること。


グループでの共振、共鳴、共創をファシリテーションすること。


これまた、言うは簡単。