つづき
心の中の避難所の質、支援の質、経験値、安全の確保、そういう力。
生きていくのにそういう物は必要だけれど、それらを心の中に生み出す方法を教えてもらえる場所は、実際ありません。
また、人間性うんぬくんぬと、そういうリソースを持っているかどうかは全く別の話だと、私自身の実験結果は示しています。
私は、他者に優しいいい人は人間性や霊性なども優れているというのは、根拠のない陰謀論くらいに思います。
性格の善し悪しとも、あまり関係ない気がします。
ただ、1の人たちは知っているだけの気がします。
人に優しくすることは誰にとってもいいことであると同時に、自分の難しさを下げ、自分を助ける行為でもあることを。
1の中で育つ人たちは、育つ間にいた環境の中には、そういうものを心の中に持っている人生がうまくいっている大人が周りにいた確率が、そうでない人よりも高いはずです。
私が見た1の人たちの周りの大人には、そうでない場所よりも、そういう人の割合が高かった印象があります。
人生は傷つくもので、自分が傷つく度に人生を癒すために止める必要があるならば、他者に貢献することはできません。
1と2は、偽善だろうがなんだろうが、ご先祖さんや親がなんらかの他者や社会に貢献し続けてきたからこその、その環境です。
悪さだけしてそれらを築くのは、相当な才能が必要です。
なおかつ、災難に全く合わない家系もありませんから、それも少なくともやり過ごすことができているわけで、
そして、おそらくそれは、その人にもあうやり方です。
身内は、他人よりは自分と似ていて、なおかつ似た環境にいるため、自分に取り入れやすい確率が高いからです。
そして、育つ間に、繰り返しの経験で、それが自分の身にもついた状態で大人になる。
自分の身を守る術も身につけ、なおかつ、周りにセイフティ・ネットが出来上がっている。
人が全く挫折や災難のない人生を送れる可能性はほとんどないのではないかと思いますが、そういうものが訪れたときに受ける影響を低くできる可能性がある状態というリソースを、1や2は、大人になった時点で持っているわけです。
お金も含めて、リスクヘッジができている状態で大人になります。
リソースは力です。
リソースには、物理的、精神的、肉体的な様々なものがあります。
大人になってスタートする時点から、自分と自分の周囲が持つリソースが平等ではない状態ではじまるわけです。
そりゃ、成功する確率は当然上がります。
あくまでも確率ですけれど。
じゃあ、1とか2ではない人にはチャンスはないのか?