構造。家族と子供。
子供と家族に手が届くこと。
それが、私に喜びをもたらすことに気づきました。
私がセッションをはじめた頃、私は「お母さん、および、未来のお母さん達が幸せになる手伝いをしたい」と思っていました。
お母さんが幸せではない時、子供に起きることを私が知っていたからです。
けれど、私自身はそう家庭的でもありませんでしたし、何より、当時、私は幸せなお母さんをあまり知りませんでした。
(見えていなかったというのが真実だと思います)
さらに、私自身の適性は、ビジネスライクでフレンドリーな世界により適していたようで、私自身の思いとは別に私に訪れる相談は、人生全般、それから仕事、たまに墓(笑)が多くなっていきました。
女性をサポートしたくて始めましたが、私のクライアントは男性が半分くらいになりました。
当時、私も事業をしていたため、経営者の孤独は理解できました。
けれど個々の状況は分かりませんでした。
年齢もばらばら。
下は15歳。上は90歳が今のところ最高。
30代の私に、90歳の見る世界は、私には想像もつきませんでした。
男性の気持ちもわかりませんでした。
ただ私、学習しました。
年を重ねれば、全て、自然に解決はしない。
そして、15歳も90歳も、悩む構造は似ていることを。
男性も女性も同じ。
テーマは違えど、構造は似ている。
しかし、構造がわからない。
私がクリーンランゲージやシンボリック・モデリングが好きな理由のひとつは、「構造」に手が届くからです。
構造は表面上には登場しません。
クライアントの話から推測はできますが、それはクライアントが自分と同じ思考構造を持っていた場合の話で、何が何やらさっぱりわからん、なぜそうなる?ということもたくさんあったのです。
そして覗いた構造の世界。
それは誰のものも美しかった。
本当に美しかった。
クリーンランゲージでは介入しませんが、それは、構造を扱っているからというのも理由のひとつです。
人が隠しているものは、それなりに理由があります。
介入する必要などない、と、私はやがてわかるようになりました。
その美しい世界を、より機能的に、より豊かに、その人自身が展開するためのサポートだけをすればいいとわかるようになりました。
自分は何もしないことが、この場合、一番手助けになるのだと。
そして反面、私は、現実で自分の手が届く場所にはがんがん介入を始めました。
これは私だけではなく、クリーンのコミュニティではよく起きています。
他者を手助けしまくる人たちをよく見かけます。
ペニーもジェームズも含め。
私自身は、自分がするサポートの質が変わったのを感じています。
同時に、疲れなくなりました。
そうして、私に喜びをもたらす出来事が起きました。
春のトレーニングの参加者に、児童支援をしている人が2人、家族相談士が1人、混じることがわかったからです。
家族と子供に手が届く。
私の中にまだ、望みが残っていたことを私は知りました。
そして、その望みも一緒に、これからもやっていくのだと知りました。
そこに携わる人をサポートできることがわかったこと。
それは、深い深い喜びでした。