体感覚とか共感とか傾聴とかの話。
つらつらと。
体感覚とか共感とか傾聴とかの話。
「デイビッドがしていたことをやろうとするなら、クライアントの体感覚を自分に持ってこなければできない」と、ジェームズがどこかで語っていました。
Inside Cleanやったかいな。
ただし、クリーンランゲージは、クライアントの知覚空間自体は、クライアントの空間に据え置きます。
ジェスチャーを真似はしますが、ミラーリングはしません。しますが、しません。
このことが、質問者とクライアントの双方にもたらす効果が想像以上にすごかったので、私は最初びっくりしました。
今、ふと、それを思い出しました。
それから、春のトレーニングのアシストチームさんとの最初の勉強会で、私が時間をとってした話は傾聴の話だったこと。
そしてまた、私は、トレーニングでもそこから話を始める必要性を感じました。
私がシェアすることになる相手のほとんどは、心理学の基礎知識があるカウンセラーでもコーチでもない対人支援者がほとんどになるだろうと思ったからです。
プロアマ混合の。
すっかり一般用語になった傾聴。
それから、こちらも一般用語になった共感。
どちらも、私が知る限り、もともとは、一般的に使われている意味とは違います。
そして、私が観察してきた限り、クリーンランゲージにも、シンボリック・モデリングにも、一般用語でない意味の方の傾聴や共感は必要です。
技術としてのそれら。
私は、「共感を使わない」というフレーズを何度かここにも書いていますが、それは、一般用語の共感です。
それから、共感の「相手を理解する」部分については、「人は他人をその人が理解しているようには理解できない。人は全員違う」というスタンスがクリーンランゲージにはあるため、技術的な共感の全部を使用はしません。
相手の言葉の要約や解釈をしないので。
そういう意味では共感を使いません。
私は学者ではないのと、最新の心理学の知識を持ち合わせていないため、ややこしい説明は避けてきました。
抽象概念の理解は人によって異なります。
それで議論を生むため、私はめんどくさかったからです。
これまで教える立場でもありませんでしたし。
メタファーでする話はもめなくていいんですけれど。
平和でいいです、メタファーは。
また、全ての土台には、ラポールが必要です。
これらの話が、なぜ、クリーン関係やシンボリック・モデリングのトレーニングでは省かれているか、それについての私の考えも、私は話しました。
技法の成立過程に、その理由があると、私は考えてます。
つまり、そこについては、当たり前なのと、技法に関わらず必要な部分で、どの技法だろうが同じなのでわざわざ時間をとらなかったのだろうと。
それは当たり前の人たちの集合体の中で、技法が成立していったからだろうと考えています。
違う部分を熱心にする方が、より世の中の役に立ちますから。
ただ、まあ、これらがなければ、特にラポールと傾聴の部分がなければ、クリーンランゲージやシンボリック・モデリングは、とんでもなく冷たい技法です。
情報中心の技法なので。
それらが土台にちゃんとあるかどうかで、ファシリテーションの質は変わります。
まあなんでもそうですが。
サポートする相手は人間なのでですね。
私はこれらについては、見て学びました。
私の先生たちは、語りませんが、見せてはいました。常に。
あとは、もともと、私はロジャーズとユングからこの世界に関わり始めたのと、少々、トレーニングはされていたのであんまり気にかけてきませんでした。
私にも当たり前だったからです。
ここで問題は、見ては学ばないタイプもいるということ。
誰もが視覚優位でもなければ、体で覚える派でもありません。
学ぶプロセスには個性があります。
説明が必要な人は確実にいます。
少なくない人数。
さて、テキストのページを増やすか、話で説明するか、さて、どうしよう?
問題は、時間。
さて、どうしよう?
書くならモデルを触る必要が登場する。
それをしている時間はあるか、どうか?
さて、私は、何が起きればいいのだろう?