クリーンって何ですか?クリーンランゲージって何ですか?
resonance
共振。共鳴。また、共鳴状態をさすこともある。物理系がその固有振動数と同じあるいは非常に近い振動数を持つ力により振動させられたとき、振動の振幅が著しく大きくなる現象。
「君が、自分が何がわかっていないかを理解できるようになるまでに、トレーニングを始めてから一年かかる」
私のトレーナーは、その何かを私に教えてはくれません。
自分で気づけが徹底しております。
そうして、私は、アシスタントさんたちとの勉強会を通して、少しずつ気づきはじめています。
おそらくそれは彼らには当たり前のことなのでしょうが、「これに気づいた!これに気づいた!」と、私が発見する喜びを残してくれること、悩む自由を残してくれること、発見したことを共に喜んでくれる姿から、私は大きな何かを学んでいます。
技術的なことはですね、初心者対象ならば私で大丈夫ということは確認できています。
技術よりも大切な何か。
私はただいまそれを学習中。
まあそれも技術の一部なのでしょうけれど。
教える、シェアする、という技術。
私は技術者であり続けますから。
これは個人的な気質の問題です。
自分とは違うさまざまな気質のファシリテーターやトレーナーが誕生できるためのサポート。
人それぞれに、カラフルなクリーンが存在できること。
たったひとつのクリーンランゲージはないのでしょうから。
何しろ、お造りになったデイビッドはこう言ったそうです。
「誰かが自分と同じことをするのを見たくない」
それは今も基本精神としては受け継がれているように、私は感じています。
さて。
最近、たまにクリーンって何?と質問されます。
クリーンランゲージの質問ならば説明はしやすいのですが、クリーンの定義となりますと、話は少々変わります。
なぜか?
私が、「クリーンとは、絶対的にこういうものです」と言い切った瞬間、私はクリーンではなくなるからです。
「私にとっては」とか、「私の考えでは」とか、「私の経験では」とかを頭につければOKです。
けれど、おそらく、相手が聞きたいのはそこではないとわかる時。
デイビッド・グローブは、クリーンランゲージやクリーンの定義を書き残しませんでした。
書き残したところで、「人の理解は全員違う」ということが彼をクリーンランゲージの開発へと導いたわけですから、たったひとつの定義は存在しえなかろうと思います。
でもまあ、文字があれば、後の私のような人々がまだ説明しやすかったかも。
シンボリック・モデリングは、文字で書かれた資料がやたらめったらありますので、このあたりはまだ楽です。
クリーンについても、ある程度は、開発者の考えは文章化されています。
しかしそれでも彼らも言います。
「自分と同じように〔考える〕必要はない」
ここで冒頭に戻ります。
冒頭の単語は、クリーンランゲージを説明するときに、使用する人を割と見かける単語です。
共創、もよく見かけます。
私の感覚も割と近いです。
自分を傍に避けるけれど、でもそこに言葉ではない部分で、共振、共鳴、共創が起きる。深い深い部分で繋がっている。
ファシリテーションしていると、そんな感じをよく受けます。
さてもここで問題は、私のいう共振、共鳴、共創の意味が、相手の意味と同じとは限らないということ。
ね、難しいでしょう?(笑)
クリーンランゲージが育てる人の要素のひとつに、おおらかな寛容さがあるのは、私の経験上は確かです。
もともと楽ではありましたが、さらに、生きるのが楽になりました。
わかってもわからんでも、今、ここで、あなたと私が関わることそのものを楽しむしかないわねと、ある意味悟ったからです。
同じものに興味がある。
それで十分じゃない?と思えるようになったからです。
クリーンランゲージが何か、その人なりの意味を見つけていくサポートをすること。
そのプロセスが、できるだけ豊かな体験に満ちるように手伝うこと。
大事なことは、クリーンランゲージがその人の人生上で持つその人独自の意味だと思うからです。
それが生まれてはじめて、その人はクリーンランゲージを体得できたことになります。
理論上ではそうなります。
あなたの体験が理解を生み出すという基本方針があるからです。
だから、あなたの理解が生み出されるときにあなたが体験するものが、できる限り豊かなものであるように。
あなたのクリーンランゲージが、豊かな意味を持つように。
私がそうしてもらったように、私もあなたを手伝います。
愛とユーモアがいっぱいの中、私は育ててもらいました。
それが、私のこの先の仕事のひとつです。
言うは簡単。