認知症の人をサポートする人のためのクリーンランゲージ
認知症の人の相手をする人に、やはり、クリーンランゲージはおすすめだ。
「自分には理解できない世界観」の中で生きる人の話を、クリーンランゲージのスタンスならば、楽しむことができる。
共感しなくていい。
特に、家族はくたくただ。
心も体も。
自分の心は自分の心のままに、クリーンランゲージならば、保持できる。
その上で、「訳がわからない(実際には、本人には訳も理屈もちゃんとある)」会話に、心理的負担なしに、付き添うことができる。
おそらくは、コーチングやセラピーで使用されるクリーンな質問より、クリーン・インタビューで使用される文脈的にクリーンな質問が、使いやすいかもしれない。
私の祖母は幻覚がある。
私の父は、記憶が改変されている。
2人共、認知症だ。
だが、彼らは、私とならば、話していると笑いだす。
身内の中では、それは、私と彼らの関係性と、私の明るくおおらかな気質のせいだと、判断されている。
しかし、私は、知っている。
それは、その反応は、気質や関係性がもたらしたものではないことを。
祖母には、私は、名字で呼びかけている。
祖母にとって、私は、ヘルパーさんだ。
父は、私がわかるが、けれど、話はそこではない。
私が、彼らの言葉を一切否定せず、むしろ、彼らの世界を膨らませる質問をするからだ。
そのとき、彼らの心を占めている世界に。
つまり、私は、テクニックを使っている。
ファシリテーターの立ち位置で。
彼らをキャリブレーションし、彼らをペーシングし、彼らに質問する。
ただ、言葉を繰り返す。
つまり、セッションですることと同じことをしている。
そして、それを、身内が気づかないということは、日常の中に、クリーンランゲージは溶けこめるというエビデンスだ。
私は、来年、これを、もう少し探究したい。