未来の選択

悩む人は、一般に、今か後ろを眺めているけれど。

例えばその人が30才なら、今から、まだ50年、同じことで悩み苦しむこともできることには、気づいていないことが多い。


例えば、自分を育てた親との間から生まれた心の傷は、親が死ねば解放されると思っているかもしれないけれど、必ずしも、そうじゃない。


結婚すれば自由になれる、自分に子供ができれば自由になれる、自分が仕事で成功すれば自由になれる。

それが起きなかった人、それでもまだ、子供のままで居続けた人はいくらでもいて。



本当に、大人になったその人を苦しめていたのが実在の親だったなら、親が死んだ瞬間に、それは解決する。

それは人間関係の話だから。

人間関係の話は、相手が存在しなければ解決する。


けれど、過去の中にいる、記憶の中の親、例えば、子供時代なら。

それは、親が死んでも自動的には解決しない。

なぜならば、それは、親とその人の関係性の話ではなく、その人自身の中にだけある関係性だから。


親からは自由になれても、自分から自由になるためには、自分が自分を解放するしかない。


そして、80歳になっても、そこから自分を解放しないまま生き続けることは可能だし、また、実際に、私は、そういう人たちに、この10年、何人もお会いしてきた。



過去に囚われ苦しむ人は、未来を見ない傾向がある。


けれど、事実として、その人がそこから自由になるまで、それは、後何十年でも続けられる。



永遠に子供のまま80歳になることは可能だ。



大人になれば手に入れられた自由を手に入れないまま、不自由な子供のままで、人生を終えていくのは、簡単だ。



そして、やがて、あきらめがつくかといえば、つかないことが多々あるのも、私はこの目で見た。



いつか、勝手には解決しない、自分がなんとかするしかないこともまた、世にはあるものなのだろう。



いつまででも続けられる。

誰もそれは教えてくれないし、そして、いつまでも続けるのもまた、尊重されるべきその人の選択だ。


けれどもしも、あと50年、あと30年、続けられることを、私の目の前に座った70歳を超えた人たちが、30歳、40歳、50歳の時に知っていたなら、彼らは同じ選択をしたのかなと考えたとき。



私は、知っていたなら、彼らは違う選択をしたのではないかと思う。



そして、あなたは、何が起きれば好いのでしょう?