姿勢と環境が及ぼす効果
姿勢や、環境が、いかに自分の心理状態や集中力に関係するか、しみじみ味わった話。
私は、過集中な面と、注意力散漫な面を、両方持っています。
過集中な面は、創造的な場面で、主には発揮されます。
たとえばデザインをしている時、私は、飲まず食わず、どういう仕組みかはわかりませんが、トイレすらいかずに、最高30時間、作業を続けたことがあります。
数時間はしょっちゅうあります。
本人としては、1時間くらいのつもり。
時間の感覚が消えてしまいます。
注意力散漫な部分は、「勉強」の場面でよく訪れます。
私は、教科書やテキストを使って、ただ記憶していったり、理解していくだけの作業には、退屈します。
これは学生時代からです。
そして、集中力が持たない。
10分もすれば、他のことに気が散る。
それで学生時代は、追い詰められた状態になるまで勉強しませんでした。
学校のテストの範囲くらいならば、一晩あれば頭に入ったからです。
(あとは、私の山勘は、異常にあたったから。教科書の光るページを暗記すればよかったのです)
授業中は、大方、頭の中で別のことをしていました。
私の人生の中に登場した翻訳作業で、私は、この注意力散漫と、ついに向き合うことになりました。
毎日、コツコツ、ルーティンとして取り組む必要がでてきたからです。
資料の日本語の本は、教科書以外、何ものでもありません。
「授業ではないのだから、10分やって10分休みを繰り返せばいいのだ」というところにはたどり着いておりました。
そして、「ノートを作り(創造)しながら読む」ようにすれば、やや集中力が持続することにも気づいてはいました。
ただ、効率が悪い。
なにしろ、文章量が多いので、私は効率化を模索していました。
そして数日前。
私は、完璧に、この注意力散漫問題をクリアしました。
クリーンランゲージのワーク二種類の合わせ技で。
たまたま、その日は、私はスケジュールを組み間違えて、午前中から夕方まで、月一回している大阪で日本語でのクリーンランゲージの実験的な勉強会、そのあと、1時間インターバルで、今度はZOOMで英語でトレーニングという、一日中、クリーンランゲージのなんらかをやることになりました。
しかし、この場合、これがよかった。
前半の日本語でしたワーク(別のところでシェアしています)の最初に私が出したアウトカム。
それは、
「あきずに勉強を続ける」というものでした。
その日、私たちは、文字を使うワークをしていました。
そして、ワークの最後にたどり着いていたのは、「勉強」という言葉が、私によくない作用をもたらすということでした。
勉強という単語が浮かぶと、私の体は、中学校の教室に戻るようなのでした。
実際に、私には、自分の左側に窓、そして窓の下の方に校庭が見えていました。
「中一は教室が一階だったから、これは、中ニか中三だな」と私は言いました。
「先生が、教科書に書いてあることしか言わない。それなら読めばわかる。
なんてつまらない。
この時間は何の時間?とむちゃくちゃ退屈だったのを覚えてる」と、私は言いました。
一緒にいたひとりが、
「正式には、勉強という言葉は使わない。学習と言う。その勉強、は、プロブレムの匂いがする」と言いました。
勉強=退屈。
ああ、身体が記憶しているなと、私は思いました。
いわゆる「身体化された記憶」、「身体化された経験」というものですね。
それで、私は、アウトカムを書き換えました。
「強さに育つ知識を知る」
そして、私は気づきました。
私が今、作業する時、左側に窓がある、と。
自分と窓の位置関係が、中学校の記憶と同じだったのです。
「場所を変えた方がいいかもしれない」
それで時間切れとなりました。
続く。