at randomに、まず、yellowに目を向けてみよう

 今、オンラインワークショップで、’Logic(論理)’について学習中だ。

それで、amazonの購入履歴によれば、私はその本を2017年には手に入れていたらしいのだが、さらっとだけ流し読みして、長い間、ほったらかしてあった本を、もう一度、ちゃんと読もうと手に取った。

本は、「英語の論理・日本語の論理

私は、最終的には、今、学ぶ全てを、日本語に落とし込みたいからだ。

あともう一つは、最近、気がついたけれど、私が英語でクリーンランゲージ&シンボリック・モデリングのファシリテートをしているとき、どうも、自分の頭の中の理屈(ロジック)が日本語のままのことがあるなと気がついたからだ。

それはいい方に働く場合もあるし、いい方には働いていない場合もある。

だから、自分のどの辺が、日本語の理屈のままなのかを、もう一度、確認しておこうと思ったのだ。

それで、その本の中身自体も面白いのだけれども、ああ、そうだな、こういう風に翻訳しようと思うところに出会った。

at randomに、まず、yellowに目を向けてみよう(英語の論理・日本語の論理、安藤貞雄、p.80)


こういう風というのは、英語と日本語が混ざっているところ。

私は、「え〜、これどう訳すのよ?」という単語の山とプロレス中だが、これだと、「ないんですよ、日本語にはその概念」という単語の訳を考え込む時間が省略できるなと思った。

そして、自分の理解での注釈をつけておけばいいのかも。
こういう理解を持っていますが、あなたの理解はどうですか?という。

カタカナにした瞬間、もしくは、漢字変換した瞬間、それは、術語として定着してしまう。
その定着してしまう訳が起こすあれこれを、私自身が経験したことがある。
特に、カタカナがすでに外来語として存在している場合、自分が知っている意味で脳内変換されてしまう。

それで、私はなんとなく、それは、もう少し先で、IQが高い、心理学の基礎知識があり、実際にも臨床にあたっている人々が、クリーンランゲージの日本のコミュニティに入ってきて、それは、えっちらおっちらやるのではないかというビジョンを勝手に抱いている。

なんとなく、そうではないかな、と思っている。
そうしてもらった方がいいと思うけどなという印象。

私がしているのは、その下準備みたいなイメージがある。


一つ一つを、解明していく作業は、もちろん、自分も続けるのだけれども、何しろ、もう、資料の数が膨大だ。そして、それらの資料のほとんどもまた、英語だ。
私は、ひらめくが、そんなに賢くない。
自分の身の程は知っている。


それにしても、なぜに、心理関係、自己啓発関係の本で、20年も前に出版されている本が、日本では昨年ベストセラーになっていたりするようなことがしょっちゅうあるのかというその理由が、よくわかったような気がした。
まず、勉強しないと訳せないというのが、状況としてあるのかもしれない。
文脈を理解してからしか、翻訳できないという。
だって、英単語って、文脈で、コロコロ意味が変わるんだもの。
そして、その文脈を理解するには、長い時間がかかるという・・・。

ともかく、「これはどう翻訳するか考える余地がある」ということを、英単語のままでなら残せるなと、『at randomに、まずは、yellowに目を向けてみよう』という一文が、私に教えてくれた。

そして、私は、翻訳するスピードを少しだけあげれるかもしれない、と思った。
「後から、少しずつ日本語にしていくところも残していい」ということにしようと思った。

ちなみに、元記事の参考文献に全部目を通してから訳すのは、すでに諦めている。
(少しずつは読んでいる)


「その人が、何を伝えたいのか」、私の著作でない限り、その人が伝えたいことをできるだけそのままに伝えられるように翻訳したいのだけれども、私自身の現在の能力の限界もある。

なぜ、このクソめんどくさい作業に手をつけてしまったのか、それは永遠の謎だが、この作業が面白いことには間違いない。

沼。