軽やかに視野を広げてくれた人がいた話

 私はなんて視野が狭かったのかと思った。

そして同時にとても心が温かくなった。


その時、私は、一通のメッセージを受け取った。

最近は、知らない人から時々メッセージが届く。


日本語だったり、英語だったり。

話はクリーンランゲージ。


一期一会的なやりとりが最近、急に増えている。

同じ時を生きる人たちとひとときだけ混じり合う、その時間はとても楽しい。

助けてもらったり助けたり、さらっと助け合う感じが、非常に心地よい。



そして、その時受け取ったメッセージは、海の向こうからの知らない人からで、最近、だいぶ前にできていたが、最近web上で提供されたものについて、「自分はそれが前から欲しかった。作ってくれてありがとう。がんばれ」という内容が英語で書かれていた。


海の向こうの誰かをサポートできたことが、嬉しかった。


そして、ああ、日本語は、日本国内だけのものではないんだなと思った。

私は視野が狭かったなと反省した。

そうか、第二言語で、日本語を使う人たちもいるんだ、と気づいたからだ。



ならば、どうなる?


ならば、何が起きればいい?

扱っているものは、オープンソースのものだ。

世界中、みんなのものだ。



私は、二枚の紙の前で考えた。


ならば、ここに、読み方をローマ字併記した方がいいが最初に浮かんだ。


それから、ならば、もっともっとシンプルにする必要があると思った。

シンプルで、効果があるもの、だ。


第二言語の人たちも、対象に含めるならば。

いや、ならばじゃない。

含めなきゃいけない。

日本語は、もはや日本人だけのものではない。



そして、それから、発音に工夫が必要な要素は、すべて排除する必要があると思った。

誰が口にしても、ある程度、同じ働きをするように。



それはどこにある?と、私は紙を眺めた。



私の目線に、日本語を第二言語で使う人たちが加わった。


これがこの先をどう変えるかは、まだわからない。


でも、自分を取り巻いていたある種の閉塞感がさらりと溶けて、それは幻だということだけがわかった。


自分が眺めるものは、それではないということだけがわかった。


私が眺めるものは、その言葉の先にいる、それを必要とする人たちだ。

どうか、できるだけたくさんの人の心に役立ちますように。



そして、また、パソコンに向かった。

最近の話のオチはこればかりだが、今、やることは変わらない(笑)


あと一年くらいは、同じことの繰り返しだろうなあ。