何もない関係
とても面白いのです。
何がって、私たちが、どのように他人との関係を捉えているか、それが、どうやら西洋の人達とは違うみたいだなということ。
それを教えてくれたのは、クリーンな質問のひとつ。
XとYという2つのものがあった時に使う質問です。
XとYの間には、どんな関係があるのかな?と探ってみる時に使う質問です。
今は、Xが話に先に登場し、次にYが現れたとしてみましょう。
質問は、2種類あります。
「XとYの間に、何か関係はありますか?」
(XとYの間には、どんな関係がありますか?)
「Xの時。すると、Yには何が起きますか?」
最初の質問は、ほとんど使いません。
後の質問の方がよく使います。
ともあれ、話は答えです。
英語でトレーニングを受けた後、やる気になった私が、クリーンランゲージを使ってセッションをばかすかやってみたらば、この質問を投げかけた時に、「何にも起きません」という答えが、ちょいちょい登場したのです。
なんでや?と、なりました。
英語でセッションをした時には起きなかったのに。
知識としても聞いていませんでした。
私が戸惑ったのは、「何にも起きない」が、どう考えても関係があるXとYの間の話でも、登場したからです。
とてもよく覚えているシーンがあります。
ある時、お花畑と蝶々というXとYが登場しました。(物の名前は少し変えています)
蝶々が最初に登場し、後からお花畑が登場しました。
お花畑には、最初は、花が咲いていませんでした。ただの草原でした。
やがて、お花畑に花が咲きました。
お花畑に花が咲いたら、蝶々は何かするだろうとは、普通に、推測が立ちます。
景色として。
よく見ますね。
お花畑の上を、蝶々がパタパタ飛んでいたり、花に蝶々が停まって蜜を吸ったり。
自然界に存在する事実として。
ところが、私が「そして、お花畑の時。すると、その蝶々には何が起きるの?」と尋ねたらば、クライアントさんは言いました。
「何にも」
クライアントさんの目は、お花畑と蝶々の間を見ていました。
私が尋ねたのは、蝶々についてだったのに。
クライアントさんの目は、蝶々を見てはいませんでした。
「何もない空間」を眺めていました。
それで私は、質問を変えました。
「何も。そして、そのお花畑と、その蝶々の間について、他に何かある?」
クライアントさんの目が眺めていた場所を指差しながら。
クライアントさんは言いました。
「透明の壁があるんです。蝶々はお花畑に飛んで行きたいのに、壁があるから行けないんです」
それで、そこから、蝶々がお花畑に飛んで行けるようにいくつか質問をしました。
このセッションの後にも、「何もない」「何も起きない」事態はちょいちょい発生しました。
その度に、「そのXとYの間について、他に何かある?」と尋ねると、そこには必ず、何かがあったのです。
関係は、空間にあるんだなと、私は思いました。
何かが何かに作用することも関係ならば、何かと何かの間に存在する何かもまた、関係なのだと。
つい最近、「関係」という訳を、「つながり」に変えてみたら、クライアントの反応は変わるかどうか?という話が登場しました。
XとYの間に、何かつながりはありますか?
さて、どのような反応が返ってくるのでしょう?
つながりは、辞書での意味はクリアしています。
関係と繋がりは、ややイメージが違いますね。
繋がりは、やや感情のニュアンスが含まれる気もします。
メタファーっぽくなる。
まあ、関係もメタファーといえばメタファーです。
さて、どうなんだろう?
やってみないとわかりません。
だから、今は、わかりません(笑)
ただ、関係性を考えるときに、そこに何もないはずの空間に、何かあることが、日本人は多いみたいという独特の感受性があるみたいだなという気づきでございました。