タイトルなし

日本語の文法書はいいなあと思った。

だって日本語なんだもん。


しかしながら、私が今見る文法は、学校で習ったそれとは違う。

学校文法と日本語文法は違う話らしいのだ。



私の頭の中の「日本語でのクリーンランゲージの運用」対象者が、はっきり日本から飛び出した後、私の目に留まる資料は変化した。


そして、私の頭は、すっきりし始めた。

第二言語として日本語を使う人用の文法がわかりやすいからだ。

私が知りたかったことは、学校文法の外にあった。


日本語の機能。



これは、2人の、クリーンな質問を使える日本語が話せる外国人のおかげだ。

ロシア人、ニュージーランド人。

他にもひとり、日本語のクリーンな質問に興味を抱くイギリス人を知っている。


彼らもまた、クリーンなコミュニティに存在する、日本語でクリーンランゲージを使う可能性がある人たちだ。


日本語のクリーンな質問を必要とするのは、日本人だけじゃない。




質問の組み立て。


これにはネイティブな日本人しかしない独特の回答があることに、私と仲間は気がついている。


関係性や形や大きさについての質問に、その特徴は現れる。


「無い」「ない」という回答が現れる頻度が高い。


関係性については、「ない」を回避する質問は見つけた。

クリーンスペースの質問が使えた。



2人で週一回続けてきた、こういう時は?こういう時は?という検討会で、ああでもないこうでもないと話す時間は楽しい。



仲間を増やそう、ゲラゲラ笑いながら、いろんな質問や質問の組み立てを試す仲間を増やそう、という話になった。


楽しそうであるからして。

おかしなことがたくさん起きそうで。

そりゃないわと、ゲラゲラ笑いながら。



そのために。


私にはやらねばならないことがある。

知識を、分配することだ。


日本語でさえあれば、読めばわかることが、何しろ山のようにある。


それから、本もたくさん読まなくちゃいけない。

セッションもいっぱいしなくちゃいけない。セッション記録が山のようにいる。



目指すゴールは、その先だ。


日本語の、新しいクリーンな質問だ。



「日本語には、全く新しい日本語のクリーンな質問が必要かもしれないよ」と、魔法使いが書いた時、それを読んで私は泣いた。


自分が感じていたことを、「クリーン」という名前を捨てずにやってもいいのだと、わかったからだ。


長い長い時間の先に、それは待っているかもしれない。

たくさんの出会いの先に。



たった一つかいくつかの質問を見つけること。



この見つかっても見つからなくても、世に大差ないチャレンジが目の前に現れた時、私の人生後半戦がキラキラと輝いた未来に見えた。


魔法使いは、またしても、魔法を使ったようだ。

そして、私は、魔法にかかった。



キラキラ感じたこれは、血だろう。

曽祖父は発明家。

特許も取ったが、発明にお金をつっこんで家を潰した。

祖父と父はエンジニア。

父は、電気系のシステム開発をしていた。



そして、今、私にできることは?


以下、いつもと同文。



そして、子供の頃に見た、高卒だった父が、大卒と同程度の学力があると認定してもらう社内試験を受けるために、家でずうっと勉強していた姿が浮かんだ。


学歴なんざ関係ない。

実力と努力で、道は開ける。


がんばれ、僕は君に見せた、好きな楽しいことのためにならがんばれること。

がんばれ、と、その背中が言った気がした。