失敗とできないことから
いつか、未来で、私がすでにしてしまっていたり、これからする全ての失敗は、お気に入りの笑い溢れるハートウォーミングな物語になる。
私が、意識でそう決めたのは、記録によりますと3週間前。
ジョン・グリンダーという人が、語学学習で失敗することについて語る動画を見た後だった。
意識ってね、ほんとにすごい。
それからしばらく、私が自分の間違いを指摘される頻度が、だんぜん増えたのでありました。
最多指摘されポイント。
「そのitは何?」
これは、例えばI eat it.(それ食べた)みたいな文章で。
前にitにあたる名詞があって、それからでないと、itは登場しえないという有名なあのルール。
どなた様も習いましたね、学校で!
しかし、私が書く文章には、いきなりitが登場したりする。
そして、そういう時は、後ろを探すと、必ずitがいる。
たとえば、I eat it. An apple is tasty.
それ、食べた。りんごは美味しいよ。
「それ食べてん。りんご美味しいよね。」
日本人なら、それ、は、りんごとわかるはずだ。つまり、私の頭の中が日本語のまま。
そして、私は気づく。
時制も間違えたな、と。
そして、思う。
時制は、これくらいなら、前後関係の意味はわかる。よし。
テストだとバツね。
thatでもこれは起きる。
次に多い指摘されポイント。
私は、辞書引くのがめんどくさくなると、動詞をhappenとdoとmakeの3つだけでなんとかしようとし始める(笑)
もう少しがんばる時は、そこにtake。
すると、ネイティブの人は、こういう時はこの動詞だと、さらっと文章を書き直してくれる。
そして、私は、動詞の感覚を覚える。
おお!と。
そして、次に、その文章をそのまま書く。
私の英語のやりとりは、ほとんど文章だが、そういう時、私には、相手がニヤッと楽しそうに笑う顔が見えている。
私は間違えますよ、と、大っぴらにしてしまった後の楽しいことよ。
もう、「itは何?」が笑えて仕方がない。
またやった!と。
さらに、自分で気がついた。
ようわからんなと思ったら、とりあえず、wouldかcouldで文章を柔らかくして、失礼はないようにしたいと思ってるということだけ表現する自分の癖に。
これには、英会話の先生が笑って言った。
「あなたは、コミュニケーション力はあるので、そうやっていろんなことをごまかすのが上手い。なんとなく意思疎通はできてしまうから、文法が後回しになる。
いるんです、そういう人が。」
そして先週、一年間で、文法を最初から最後までおさらいします!と決めた私と、英会話の先生は、一緒に計画を立てた。
そして、先生は、「あなたはもともと喋れるから(単におしゃべりだから)、そういう人は、まじめに文法を一年やれば、驚異的に成長します。がんばりましょう」と言った。
伝わるかどうかはともかく(笑)、私が喋れるのは、この先生が、とにかく喋らせたおかげだ。
それで、先生は、いまや、かなりクリーンランゲージに詳しい。
英会話の時間に私が喋り続けた話は、クリーンランゲージの話だったからだ。
私は、どうしても説明できるようになる必要があった。
日本語を。クリーンランゲージを日本語で使った時に起きることを。
答えを持っていると思われる人がこの世に一人しかおらず、その人が、英語しか理解できなかったからだ。
そして、かつてない量の宿題が出た。
私より先に、先生が本気になったからだ。
先生は素敵だ。
この人が家から1分のところにいたのは奇跡に近い。
いい話だ、と、他人事のように、私は思った。
できないことと失敗にまつわる話には、人の温もりがあるなあ。
英語を通して、何か違うことを学んでいる気分だ。
まあ、周りの人たち、特にネイティブの人たたは、コーチばっかりだから、それはそうかもしれない。
できない、わからない人に対する接し方は、勉強になるな。