お盆 Day1
意識が変われば現実は変わる。
意識が変われば人生は変わる。
だから。
親が育てた自分の仕上がりが気に食わないなら、自分で自分を育てなおせ。
親に文句はそれから言え。
大人なら、自分の人生を親のせいにするな。
自分ひとり幸せにできないくせに、他人を救うとか言うな。
まずは自分がやれ。
好きは全てを乗り越える。
好きになることから、始めてごらん。
26歳の私に突きつけらたそれらの課題を、ほんまかいなと半分疑いつつも、あまりの悔しさに、自分を使った人体実験を始めた私の20年あまりの結論は、冒頭だ。
私が長い長いなが〜い時間をかけて取り組んだ実験のはて、私の最近の人生には、同じようで違うことが起き続けている。
私の体は、変わっておらず、ピアノの代わりにパソコンのキーボードを叩き始めた私の体に、24歳の私に起きたことと同じことが起きた。
ここから長い時間をかけてやりたいことが始まった瞬間に。
私は、真面目ではないが、やりたいことは時間を忘れる。
努力と感じなくなるから、やりすぎる。
好きと仕事が合わさった時のリスクはやりすぎることだ。
変態の領域に足をつっこむ。
仕事だけなら、休憩を忘れない。
好きは、休憩を忘れる。
それで、つい先日。
休憩を忘れて、過集中の領域にはいってしまった私は36時間くらい、眠らず、たまにトイレにいき、水分補給するくらいで、パソコンと向いあい続けた。
そうしたら、次の日、左手の薬指がしびれた。
肩も少し。
ピアノを弾くのと、キーボード叩くのは同じである。
やばい、と、私は思った。
今の私のはじまりは、24歳、お金も夢も家庭も仕事も全て手に入れた幸せ絶頂期に、左手の薬指が痺れたところから始まった話だ。
この痺れを大したことがないと放置した数ヶ月後、私は仕事と祖父を失った。
そして、喪ったものの大きさに心が持たず、病気になった。
仕事と祖父の二つ同時でなければ、私は耐えられたはずだ。
人生の軸にあったものを二つ同時に喪った私に起きたのはアイデンティティの崩壊だと、今ならわかる。
ともかく、左手の薬指が痺れた。
47歳の私の行動は早かった。
起きて指の痺れに気づいてすぐに、信頼できる整体師に、今日は営業しているか確認の連絡をいれた。
その二時間後には、私は、マッサージ台の上に寝ころんでいた。
そして、これからどうやっていけばいいのかを、確認していた。
タイマーを使って、必ず一時間に一度、立ち上がって体を伸ばす運動をすること。
月に数回は、そこにメンテナンスに行くこと。
今度の私は軽くも考えなかったし、自分の体についても嘆かなかった。
私は、自分の体を使い続けられる方法を探した。
嘆く暇などない。
今度は、私の仕事に、他人の人生がかかってる。
「先生!今ならいいよね!」と、私は思った。
お盆だ。
最初に書いたきついことを私に言ったM先生も、そのへんをウロウロしてるだろう。
(クリスチャンに盆はないが、私はクリスチャンであると同時に、日本人だ。楽しい仕組みは採用する。私はお盆にみんなが帰ってくる仕組みは好きだ。)
先生、今なら、いいよね。
幸せになったよ。
私、自分を救ったよ。
私、ちゃんと自分を育てたよ。
お父さんとお母さんのことを好きになったよ。
先生、今なら。
人を幸せにしたり、救ったりすることを手伝えるよね?
先生が私を救ってくれたように。
言葉や行動、スキルを使って。
先生、私、頑張ったよ。
私が褒めてもらいたいのは、先生だけなんだよ、と、私は思った。
私にも承認欲求が無いわけでない。
ただ、私が、よく頑張ったと褒めてもらいたいのは、先生になんだと思った。
いつか、神さまのところで再会するまでそれはお預けだ。
ともかく。
私の意識が変わった結果、今日は指が痺れていない、
つまり。
今日、私は仕事できる。
ひゃっほい。