慌ただしく始まる新しさ
なんと申しましょうか、お盆と正月が一緒に来たような慌しさ。
いや、お盆だけど。
そこにクリスマスも乗っかって。
仕事に、身内に、あたふたあたふたしている間に日々はすぎ。
そのような日々。
自分自身のことも、仕事も、話の目線は秋にすでに移り変わっているけれど、キーワードは全て同じ。
「新しい」
私やその人にとっての新しい何かがそこに絡む。
その新しさは、全くの新しさではなく、共通事項としては、これまで続けてきたことが、みな土台にある。
けれど、その延長線上にではなく、階層が別のところに、その新しいはある。
何かそんな感じ。
全部、手探り。
直感頼り、信念頼り、そんな気配も少しある。
もう一つの共通事項としては、そこには、愛、がある。
何かをとても大事に思う気持ち、分かち合いたい温もりや喜び、楽しさ。
自己愛や自分の内側で感じおさめる愛ではなく、自分の外側に広がり続けることを祈る愛。
それも、今、生まれたものではないけれど、私が関わるあれこれはみな、それを、顕現化しようとした動きの中にある。
もう、思いを語る必要すらない。
それは形になり、目に見えるようになるのだから。
受け取る人がどのように解釈するかは自由なのだという覚悟を、少しばかり必要とする、愛。
そんなこんなで、私は、てんやわんや。
家事と猫の相手は、夫がしていて、猫が仕事ばかりしている私にすねてしまい、やややさぐれていくことだけが、気にかかっている。笑