拡大するナショナルアイデンティティ
外に出て初めてわかることもある。
アメリカで、私が、絵を描くために、布の筆箱から回して出すタイプのクレヨンを取り出したのを見て、おお!と周りの人が言った時、は?と私は思った。
Very Japanese!
すごく日本的!
私には、何が日本的なのかわからなかった。
けれど、講師の先生は後からも、あれはとても日本的と言った。
それは、当時、もう心の中の疎外感は解決されてはいたけれど、日本人ぽくないと言われ続けた私の心を深く癒した。
それから、何箇所かで、何度か、何人かの人に言われた。
あなたの認知とメタファーは、とてもアジア的と。
あなたは、Asianね、と。
いくつかのシンボル(メタファー)を調和させた時、そう言われることが多かった気がする。
そうか、私はアジア人かと、その時思い、日本人としてよりは、アジア人としてのアイデンティティが、それらを境に、私の中に生まれた。
以降、私のニュースを見る目に少し変化が現れた。
アジアのニュースが、気になり始めたのだ。
今まで、単なる外国のニュースだったそれが、自分のこととして。
アジアが、私のテリトリーに加わったからだ。
私は、東京のニュースのように、ベトナムや韓国、中国、マレーシアなどのニュースを眺める。
意識は、不思議なくらい、大きな影響力を持つ。
私は、アジア人と思えば、アジアは、自分のテリトリー。
お隣さんへの文句は、東京はさ!と関西人が言うのと似たようなもんになった。
人間は、近所の文句を言うものである。
外に出たことで、私は、自分の中の日本人を確認し、アジア人になった。
同時に、人間は、どこでも人間だなあと再確認した。
なんだか、どこでも生きていけそうな気はしたからだ。
(ただこれは、家族や友人からの評価は、もとからそうだ。あんたはアマゾンの奥地でも、そこに人間がいるならば、それなりに楽しく暮らしているに違いないと言われる。)
そして、今、椅子に座り、AIや辞書に助けてもらいつつ、これはこうなんちゃうか?いや、こっちか?なんかもっといい日本語ないか?と、英語と日本語と戯れだし。
私の心は、日本人である自分を強く感じはじめた。
自分が日本人だから、日本語に翻訳できると、プライドすら生まれつつある。
私は、自分が積み重ねたスキルのひとつが、日本人で、持つリソースの一つが日本語だということを意識した。
アジア人で日本人。
やがて、いつか、それが、地球人で、アジア人で日本人になる日が訪れたら。
面白いね。
現れるか?異星人?笑
異星人が現れたら、一気に地球は、地球人!で団結するはずやけどね。
どこまでも広がるナショナルアイデンティティが持つ可能性。
その昔、古代の人は、神と信仰で、人をひとつにまとめようとしたが、今は、UFOか異星人が早いんちゃうか?と、私は思う。
考え方が関係ない現実の体験は、パンチがあるし、手っ取り早い。
アイデンティティの感覚を拡大し、世界に調和をもたらすために、UFOの出現が待たれる。笑