予定のない休日

 

休日の過ごし方はいろいろで、好みがわかれるところ。


私が一番好きなのは、予定のない休日だ。

スケジュールが真っ白な一日は、朝起きた瞬間に、すでに満足感でいっぱいになる。


旅行に行く時も、決まった予定は立てないことが多い。

行って考える。


(団体ツアーに不向きなタイプ。)



お盆休みに休めなかったので、私は、この前の土曜日から四日間、夏休みを取った。


ともかくだらだら過ごした。


すると、構ってもらえず、やさぐれて、ついには暗い部屋に行って隅っこで眠りはじめ、わかりやすく、「私はほったらかされてすねています」とアピールしていた猫約1匹の機嫌が少し治ってきた。


なんともめんどくさいが、猫がさらにやさぐれるともっとめんどくさいので、だらだらした。


今回、休みの主目的は、猫の機嫌取りだ。

私自身は、予定がないだけですでに満足なので、他には必要なかった。


私はおしゃべりだが、同時に、ひとりが好きだ。

ひとりだけの時間がないとしんどくなる。


ついでに、タイムベンダーというらしく20人に1人くらいいるらしいのだが、私の脳みそは、時間の感覚が時計と合わないので、予定がある=時間を気にすることになり、普段、他の人より多分疲れている。


仕事をしている日、私のスマホのアラームは、時間を知らせるために、一日何度も鳴る。

スマホには随分、助けられている。

でなきゃ、ぶっ通しで何かしていたり、時間が経ったのがわからなかったりすることがある。


ひとりで働いていると。


アラームが鳴っても、すぐには動かない自分もまた知っているので、本当に動かないといけない時は、15分刻みにアラームがセットしてある。


日曜日の礼拝も、オンラインで時間がわからなくなりがちだが、これは、何を考えたかある日から、教会の人が、礼拝始まったよとメッセンジャーで連絡してきてくれるようになったので、もし忘れてしまっても大丈夫になった。


ルーティンというものは、私の体には存在しないから、習慣化とかないので。

だから、礼拝が習慣になることもない。


まあ、毎日、新鮮だとも言える。

いいように言えば。



母が時間に厳しいので、実家に帰る時が一番緊張する(笑)

言った時間通りにつくために。

遅くても早くてもいけない、ちょうど。


(この人のノーマルな感性に基づく教育のおかげで、私は社会の中で、なんとかなってきたのだろうと感謝はしている。

あと、以前に分刻みでみなが動く必要がある業界で働いていたことで、体がだいぶ感覚を覚えた気はする。)



さて、おやすみは庭の薔薇のツルが飛び出しているのをまとめたり、伸びすぎた木の枝を切ったりと庭の手入れをしたり、YouTubeでロックフェスを見たりして過ごした。


スマホのアラームはならない。



今日は最終日。


昨日、パソコンやらスマホやらを新しくしたくなったので、朝から引き続きその作業をしている。


今日はスマホが届く。

明日はパソコンが届く。



明日からのことを考えて、働く準備をしている自分がおかしかった。


何時何分は苦手だけれど、1日、1週間、1ヶ月、1年という時計では測れないスパンの時間は、私は苦手じゃない。


むしろ長期スパンで物を考えるのは、どっちかというと得意だ。

割と先を考えながら動く。

仕事はだいたいいつも二、三年先を考えながらやる。



短い時間はよくわからない、長い時間はどっちかというと得意、それが、面白かったのだ。


どっちも時間なんだけどね。


今回のおやすみによる気づきは、それ。


こういうしょうもない役には立たないけどちょっと面白い気づきは、予定がない何も気づかなくていい日にしか浮かばない。


私が予定がない休日が好きな理由の一つはこれだ。


役に立たないもんほど、自分は面白いと感じる気づきだったりするから。