主語と目的語を省略するスピーチライター
しょっちゅう主語と目的語が抜けているから、彼の話はわかりにくいし、炎上している気がする。
英語記事に翻訳する人、どうやってるんだろう?
「説明して理解してもらう。」
誰が、誰に、説明し、理解してもらうのか、文脈からは読み取れない。
状況から判断して、彼が、国民に、説明し、理解してもらうと解釈するならば、ほな説明せんかい!となるのは当然だ。
だが、あまりにも、彼が似たようなフレーズを繰り返すのを聞く間に、私には、2つの考えが浮かんだ。
ひとつは、怒り狂う多くの人と同じ。
彼が、国民に。
ほな、説明せんかいとなる。
説明する場所で、説明すると発言するのは説明ではない。
もう一つは、担当者(役所か保健所か医者かともかく現場)が、該当者(対象者)に。
こちらなら、まあ、話はわかる。
体制をきちんと作るのであれば。
(今、決めたことだから、今はまだないだろうが。)
現場は怒り狂うかもしれないが、まあ、そういう仕事なのであり、怒り狂いながらもやるしかない。
何の仕事でも、そういう時期はあるだろうし。
該当者は、ほったらかされるわけでもなかろう。
人数が増えるとわかっているのに、場所を分散させるのは非効率な気はするけれど。
素人考えだと、場所を用意して、一箇所で管理する方がオペレーションが楽そうな気はするが、まあ、誰か専門家が判断したのだろうし。
彼が話す日本語は、聞き手にいかようにも解釈できる自由を与えている印象がある。
つまり、わかりにくい。
流暢に上弁なスピーチを今からできるようになるには時間がかかるだろうし、選んでいる単語から、いいスピーチライターが不在なのだろう。
ボキャブラリーが異常に貧困なスピーチライターに、主語と目的語をはっきり書くように指示するだけでも、かなり変わると思われる。
きっと、彼は、不言実行で、今の立場を築いた実務家なのだろうと推測するが、結果を出せば認めてもらえるというのは、彼が部下の場合であり、トップは、結果を出してくれるだろうという期待感を持たせるのが仕事なわけで。
いったい、いつになったら、彼は、トップになるのだろう?少なくとも、トップに見えていることに気づくのだろう?と、最近、興味深く観察している次第だったりする。
トップがだめだと、下が自分で考え始め、がんばる構図を狙っているのだとするなら、それは大成功な気はするけれど。
なぜに、彼のスピーチライターが、重要な場面ほど、主語と目的語を抜かしてくるかが、個人的にミステリー。