メリーポピンズ、スープを作り始めるの巻

スープを作る。


レシピを確認する。
買い物に行って、必要な材料を買う。
下準備を丁寧にする。
お鍋に材料を入れる。
グツグツ煮込む。


ふと、このスープの仕上がりは2年後だなあ......というスープを作ってる最中だなと思った。
何かと2年後だなあ......と、最近、よく感じるからだ。
不思議なくらい、タイミングとして浮上するのが2年後なのだ。

今は、スープのレシピを確認しながら、材料を仕入れたり、下準備をしたりしている気がする。
何をどれだけ入れてスープを作るか、分量を調整したり。

若い頃、早く結果が見たくて、私はよく失敗した。
焦って、材料が揃ってなかったり、下準備が適当になったりしていたのだと今は思う。

そもそも、本当は、スープが作りたいのに野菜炒めを作るということもあったかもしれない。
材料は似ているかもしれないが、野菜炒めとスープは別のものだ。
どっちも美味しいけれど、野菜炒めはお箸やフォークで食べるし、スープは、スプーンで食べたり、マグカップで飲んだりする。
それを口に入れる時に、使う道具が違う。

そのスープは、まろやかで深みのある優しい味。
これは何かな?という隠し味がある。
魔法瓶に入れて温かいまま持ち歩ける。
冷めても美味しい。

スプーンで飲んだら、心や体が温もる。


そのスープは、活気ある調理場で作られるというよりは、どこかのログハウスの薪ストーブの上に置かれたお鍋で、グツグツゆっくり煮込まれるスープ。
それは、出来上がる時に出来上がればいいスープ。

いつ出来上がるかより、どんな味に仕上がるかが重要。

レシピは心の中にある。
完成形のレシピではないけれど。

なぜなら、ひとりで作ってるわけでもなく、スープの中に入れる野菜は別の人がちゃっちゃと刻んでるような気もするし、調味料の配合は打ち合わせと味見を重ねているような気もするし、素材の食べ合わせの確認もしてるような気がするし、これ入れたら美味しくなるんじゃない?とカゴに入ったカボチャが持ち込まれたりすることもあるような気がするし。

スープは、偶然により、より深みを増していくような気がする。


美味しいスープができますように。


______

以下、自分のための解説。
このブログは私の私の人生という実験を観察する日記だ。


......とまあ、メリーポピンズ(というメタファー)が登場したら、ランドスケープに登場する小物が、家庭的に変わったのが面白いなと、自分で俯瞰。
新しいランドスケープを作りはじめているなあ。。。

ベースにあるディズニーらしき魔法の世界は変わらないけど、全てをマジカルに一発で解決しようとせず、じっくり手間暇かけようとしているあたりは、新しい傾向だ。

世界観が少し動いてるのかもしれない。

ただ、これは、全く新しいランドスケープということではなく、過去に描いたアウトカムにあたるランドスケープの中で展開している話のような気がする。
いわば発展形のアウトカムだ。

「そして、美しい街にたどり着く、すると次に何が起きる?」

メリーポピンズが登場する。

「そしてメリーポピンズが登場する、すると次に何が起きる?」

それが、今、生まれているメタファーの数々だろう。
体がイメージを作る手順を覚えていて、勝手にやっているのだろう。


美しい街にたどり着いていなければ、メリーポピンズは登場していないから、それはつまり、私は、美しい街が意味するところまでは現実的にたどり着いたということだろう。

アウトカムの中で生まれた、新しいアウトカムがメリーポピンズ、スープを作るの巻なのかもしれない。

メタファーは必ず何か別のことと対応している。
薪ストーブは、なんのことだろうな......。

そのうち必要な時にわかるだろう。