サバイバル訓練
1ヶ月前くらいに、よし、サバイバル生活の訓練をしようと思った。
人生の中に、生活インフラが全てストップするかもしれない1ヶ月があるかもしれないなら、その1ヶ月をできるだけ面白がりながら乗り越えられる準備をしよう。
わかっているなら、やることはひとつ。
準備を楽しむ、豊かな準備の時を過ごすだ。
準備の時間は、今だ。
起きうることが、最悪だろうが、最高だろうが、準備自体をどのようにするかは選べる。
最悪の感情は、最悪の時に感じればいいのであって、感情のシュミレーションは必要ない。
準備してもしなくても、感情はわく。
怖い、悲しい、はその時、感じればいい。
イメージワークや訓練には、まだ存在しないそれらがあたかも今存在するように感じると、私の場合は、思考と判断と行動が鈍る。
そして、この場合、準備は無駄になるかもしれないから、準備自体が楽しいものがいいね、と思った。
想定される災害のファーストステージで、私の家は水深3mくらいに沈む可能性がある。
人口より予測される死者数が多いという地域で、まず生死が不明だ。
死んだら準備は無駄になる。
こちらは準備ができないので、考えにいれる必要がない。
誰でも必ず、一度、死ぬ。
死の時期は、自分で選べない。
生きていたとして、むちゃくちゃひどい地域には、早くから援助が発生する。
ほどほどにひどくても、メディアが取り上げなければ、ほったらかされる。
後回しにされたら、援助はなきに等しい。
これは、経験的に知っている。
広域のはずだから、後回しにされるという前提で、生活インフラが1ヶ月ストップしても、なんとかなると思えるように準備しようと思った。
キャンプだ、キャンプ。
そして、最初に私が買ったのは、折りたたみのロッキングチェアだった。
夫は笑った。
いるか、これ?
私は力説した。
おそらくものすごいストレス下に置かれる。
ストレスがかかると免疫が下がる。
サバイバル状況で、病気になったら、サバイバル難度が著しく上がる。
だから、体からストレスを下げるものを用意する。
精神的にストレスコントロールをするのは、多分、難しい。
ロッキングチェアの揺れは気持ちがいい。
だから、私には必要だ。
自分が元気でなければ、人が助けられない。
私は、災害時は、落ち込まないから、非常に役に立つ。
人を助けるために、私のストレスを下げる準備をしておく必要がある。
これがあれば、ストレスは下がる。
というわけで、ロッキングチェアがやってきた。
ほどなく、私は、たまたま、キャンプでお米を炊く方法を知った。
やがて、山の中に住む予定の人から、そうなったら、ペットも連れて、うちへ避難してきなさい、とお誘い頂いた。
川には魚がいる、畑もある。
キャンプのやり方だけ覚えてきて。
キャンプ合宿?と、楽しくなってきた。
やがて、家にいたとして、近所に大きな川が二本流れているから、生活用水は確保できるだろうと私は思った。
水は重い。
あ、そうか、重いものを運ぶものがいるけどと思ったが、猫の病院通いのために買ったカートでいけると気がついた。
食べものは、お米と塩があれば、しばらくなんとかなるだろう。
栄養剤を買っておこう。
ん〜、キャンプの練習で後必要なものは?
暗闇になれることだと思った。
やはり、キャンプには行ってみなくちゃなるまい。
根っからの都会っこは、真っ暗な夜が苦手だ。
祖母のいる田舎に帰ると、毎度、夜が怖い。
私の準備は、暗闇になれること。
さて、では、キャンプへ行こう。
まず、何がないと困るのかを調べるために。
ひどいレベルからの出発だこと。