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メタファーを使おう編ですから、メタファーを使って願いを叶える方法を、今回は書くわけですが、その前に、これは願いを叶える全般で、楽して願いが叶えたいなら必要だと思われることをいくつか書きます。


ひとつ。
他人の力を見くびらないこと。

願いが叶いにくい方の特徴のひとつは、自分1人でやりきろうとすることです。
これは、その人がスーパーマンならできるかもですが、スーパーマンですら、あのスーツは人からもらってますからね。

夢の話でよく登場するのは、ウォルト・ディズニーですが、ね、ちょっと考えて?
ディズニーランドをディズニーひとりで計画しきれたと、本当に思います?
ビッグサンダーマウンテンを建てたのはディズニー?

違います。
ディズニーの周りの名もなき人々の力です。
ディズニーは夢を見た。
そして、その夢は、多くの人に補強され、建築されました。


私の夢はそんな大層なものではない、とあなたは思うかもしれません。
でも、もしも、あなたが、あなたの夢はメタファーで表されるということを知っていたなら、全ての夢は、ディズニーランドを作るようなものだということが、きっとわかると思います。

ディズニーランドが、ひとりでは作れなかったのと、夢がひとりでは叶えられないのは同じです。


夢を叶える、願いを叶えるという点のみからの視点において考えるとき、私なんて、という人と、自分はすごい!だから自分でやりとげる、という人には共通点があります。
真逆のことを言っているようですが、同じことを言っています。

自分のことしか見ていません。
周りの力を軽く考えています。

そして、周りからの助けを受け取ることを許容していません。


ディズニーですら、他人の助けが必要でした。
どうやって、ディズニーのような才能を持たない普通の人が、自分で、夢を叶えることができるでしょう?


私は、これを、人の中に残る幼児性だと分析しています。小さな頃、ひとりで何が成し遂げると、人は褒めてもらえることが多いです。

洋服をひとりで着れた。
トイレにひとりで行けた。
宿題をちゃんとひとりでやった。
発表会で上手にできた。

学校の授業がつつがなく終わったこと、発表会全体が素晴らしかったことを、子供にほめる親はまあいないでしょう。
親は、自分の子供だけを見ています。
そこに責任があるからです。


ところが、洋服を着る、トイレに行くといった基本事項以外、実際は、学校の授業がつつがなく終わる状態であることも、その子の学習にとっては必要でしょうし、発表会に至っては、発表会が開かれなければ、その子は実力を発揮する機会すらありません。


ただ着目されないだけで、そこには、はじめから、他者の力の要素が影響しています。

親の子供、でいる間、そこは、親がどうにかしてくれていた部分で、子供の目には入りません。

大人が願いや夢を叶えていくときには、この親がしていてくれた部分、他人の力、と自らが関わっていく必要があります。


夢を叶えたいとき、目を向けるのは、自分ではありません。
夢は、自分の外側にあります。

自分の「現実」と向き合っていく必要があります。

大人として。