星に願いを。メタファーを使おう編*1

さて、でははじめましょう。

私がこのような実験というか体験をしたのは、大きくは3回目。
全部成功してますから、みなさん、世にあふれている「願いは叶う」「人生は変えられる」「人は自分で自分を癒せる」は嘘じゃないと思います。


こう書くと、あなたは特別だとかいう人が、過去には必ずいましたが、日記を読んでこられた人は、言わないと思います。
みんな、とっくに気づいているはず。

私は、どこにでもいる普通のちいちゃな人だということを。

だからこそ、私がチャレンジすることには意味があると私は考え続けてきました。
私は、精神的にはできた人ではなく、むしろ矛盾をはらむアンバランスな人です。(夫はポンコツな私しか知りません)

みなさまご存知のとおり、びびりの怖がりで、人から妬まれることに怯えた過去を持ちます。
かかりましたねえ、その克服に、時間が。

覚えてはります?
最後は、もういいわ!勇気は人のを借りる!が結論ですからね。(笑)
ないものはない!
人から借りる!

そんな結論、見たことあります?

しかし、これは今回も非常に良く機能しました。
私に勇気を貸してくれた人がいました。


私は、精神的に自分ができないことを克服すること、精神性の向上や悟りには、興味がない快楽主義者です。
あ、これは、哲学的な意味の方の快楽主義者です。

意味がわからない人は、ググッてください。


自分で調べろ、、、とブログに書いてしまうくらいのめんどくさがりです。



あたりを見回せば、その辺に、私のような人はゴロゴロしています。

ゴロゴロしている人ができる方法でなければ、意味がないと私はずっと考えてきました。
すごい人にならない努力すらしたと言っても過言ではありません。
まあ、なれないと思うんだけど。


だってね〜、すごい人がすることには、「すごいよね!」と人は憧れますけれど、見てきた限り、自分ではやらないでしょ?


あいつにできるんだから、自分にもできるだろう。
そう考えること。

自分でやってみたとき、あれはあいつが気がついてないから、こう工夫した方がいいな、と自由に自分流に工夫すること。

人がそう考えることが何よりも大切だ、と私は考えてきました。

楽して願いを叶えたい。


可能です。
ただね、何にもしない、ということではない。