またしても駆け込み

ひとつ、気づいたことがあります。

この8年で、シンボリック・モデリングのおかげで私が手に入れたリソース。


英語です。


私が初めて、アメリカに、ワークショップに参加するために向かった日のことを、ブログを長く読んで頂いている方は覚えているかもしれません。


「英語が話せないなら、日本語を話せばいいのよ。クリーンランゲージは理解することより、繰り返すことが大事でしょう?大丈夫、私がサポートします。安心していらっしゃい」というシャロン・スモールの太っ腹なメールの返事からスタートしたその旅。


私は、英語以外でいかになんとかするかを必死に考えて、旅立ちました。


事前に配られた資料は、読めませんでした。

辞書を使っても、ほとんど意味がわかりませんでした。


先程、気がついたことは、最近作ったテキストのことでした。

テキストの参考文献は、全て、英語の資料でした。


私が気づいたのは、自分がそれらを英語のままで読み、日本語で編集していったことでした。

自分が、翻訳と編集を同時にしたことに気づいたのです。


8年、眺め続けたジェームズの慣れた英語だったので可能だったことではありました。

彼は、いろんな国の人が読む可能性がある文章には、使う単語の数を絞ってくれていることには数年前に気づいていました。


けれど、8年前、私は確かに読めませんでした。


それを、今回、英語のままで読み、日本語で翻訳編集を同時にやったことに気づきました。

最大の理由は時間がなかったからではありました。


同じ時期に、英語で、ある英語のホームページにやがて登場する日本語のページについての作業にも取り組んでいました。

英語で、日本語の漢字について説明するという作業。

わちゃわちゃ笑いながらの作業でした。

しかしよく考えれば、私は相変わらず文法がひっちゃかめっちゃかではあるけれど、スラスラと英語で話していました。

(相手が私の文法に慣れている場合は、話は通じます)


私は、「みんな違ってみんないい」のクリーンランゲージの世界の中で、日本を孤立したガラパゴスにすることを望みませんでした。

日本独自にクリーンランゲージを変容させ、日本独自の発展を遂げることを望みませんでした。


私が、グローバルなクリーンランゲージのコミュニティで、日本のためにできたことは、日本も世界の一員なのだと、日本語をアピールし続けることだけでした。

知識だけを持って帰るのではなく、コミュニティに入ってこようとした日本人は、私が初めてだと何度か言われました。


私にしてみれば、お家で海外旅行ができるくらいの感じではありましたが。


そうする中で、英語を母国語としない人たちとのつながりも少しずつ生まれていきました。

そうして友達もできました。



似たようなことに取り組んでいた人は、日本に、私以外にもう1人います。

日本の居場所を作り、橋をかけようとした人は私以外にもうひとりいました。

その人の存在に、私は励まされ続けてきました。

8年前には存在しなかった人です。



私は、ペニーとジェームズに、日本語のテキストを送りました。

書けましたよ!読めないのはわかってるけど、日本語でテキストになりましたよ!

英語版は後から送ります!


中味はほとんど彼らの著作からです。

日本語になったところを見たいだろうなと思ったのです。



私は、何もかもが違うことに気づきました。


英語というリソース、英語を話す人々というリソース。

8年前の私が持たなかったリソースです。

むしろ8年前、それは問題でした。


それがリソースになりました。



ちなみに、私の英語勉強法はひたすらNetflixでした。

同じドラマや映画を、日本語字幕、英語字幕、字幕なしで3回視聴するという方法を数年間、毎日、続けました。

おしゃれなフレーズ、ギャグを優先的に記憶していくという方法をとりました。


文章については、とにかく読んで、とにかく書くことにしていました。

FacebookやSNSのクリーンランゲージのコミュニティを、文章の練習には使いました。

多分、目立ちたがりに見えたことでしょう。

だって無料で練習できるんだもん。笑

しかも好きな話で。

人がどう思うか、ともかく英語とクリーンランゲージやシンボリック・モデリング!状態だった私には、もはやどうでもいいことでした。



そんなこんなで、私は、英語と英語を話す人というリソースを手に入れました。


そうすると、次に、何が起きる?