駆け込みでいろんなことに気づいていく、トレーナーデビュー1週間前

私がシンボリック・モデリングを好きな理由で、これまで書いたことがないことがあるな…と先ほど気がつきました。

駆け込みでいろんなことに気づいていく、トレーナーデビュー1週間前です(笑)

私自身の好みと、私自身の体験から得た結論みたいなものが、そこには関係しています。


人をサポートする時に、「あわよくば、その中で自分も成長できるかも」的な要素が全くなかったことが、私がシンボリック・モデリングが好きな理由の一つです。

クリーンランゲージを使う技法は全部そうかもしれません。


徹底的に自分を脇に避けることができなければ、(少なくともそうしようという努力ができなければ)、面白いくらいにシンボリック・モデリングのセッションはうまくいきません。

普段は役に立つはずの自分の考え方や自分の常識が、他人の世界の中では全く機能しない経験は、シンボリック・モデリングを学び始めた人が程なくして体験することです。

他者の世界の内側を、他者の価値観や世界観をもとに広げていく時には、ひたすら相手のことだけを、ひたすら想像できうる限り相手の目線に立って考え続ける必要があるからです。


日常の言葉でなら、世界観の違いはそうは大きく影響しないかもしれません。
同じ言葉を使っていれば、お互いが分かり合えていると思い込むこともできます。
ですが、メタファーの世界ではそういうわけには参りません。


ファシリテーションを学び始めるとすぐに、人は、自分の知る「何か」と名前は全く同じなのに仕組みは全く違う「何か」に出会うことになります。
そうして、自分が「何か」を知っていることが、他者の「何か」を探究する邪魔になるという普段ならあり得ない体験をすることになります。

普段は、自分が知っていることは相手を助けることも多いですが、真逆の体験をすることになります。


だから、自分のことを考えている余裕がない、が、正しいかもしれません。

自分のことは考えない方がうまくいきます、実際。
「私だったらこうだな」が一番邪魔な世界。


結果としては、ひたすら他者のことだけを、自分を脇に避けて考えようとすると、自分のことが浮き彫りにならざるを得ず、「ああ、こういう構造を自分は持っている」とか「ああ、これは自分個人のリソースだ」とか、自己理解は深まりました。


そして、自分は自分、相手は相手、みんな違ってみんないいということを受け入れていく過程で、自分に対する肯定感は高まったような気がします。
というか、自己肯定感が低いと、クリーンランゲージやシンボリック・モデリングは使うのがしんどい技法ではないかなと思います。

自分の理解が通用しない世界に向き合い続けるには、自分の世界に対する肯定感は必要かと思います。
(でないと、自分が否定されている感覚に陥ることもあるはずだから)


そしてまた、結果としては、技術の上達のために受けたセッションの数々は、私自身も成長はさせました。

他人から理解してもらう必要がない世界を好きなように広げていい時間は、心の中を果てしなく自由に解放してくれました。



けれど、技術を習得するそのものについては、「あわよくばファシリテーターも自分についてもそこで何か得られるかも」という雰囲気が全くありませんでした。

徹底的に「他者のこと」を考えるという雰囲気がそこにありました。


私はそれがとても好きでした。
まあ、今も好きです。


あくまでも、自分の成長は「副産物」というスタンスが、好きだったのです。


そして、そう短くもなくなってきた私自身のこれまでの人生の体験からいうと、自分の成長を考える時よりも、誰かの役に立つことだけを純粋に考える時のほうが自分は成長するということで、結果としては、これまでに学んだ何よりも私を成長させたのはシンボリック・モデリングでした。
これはシンボリック・モデリングが優れているということではなく、私に合っていたのだと思います。(いい技法だとは思いますけども、もちろん)


私自身は、自分については片付いていた状態でシンボリック・モデリングと出会いました。
だから、最初から期待していたのは仕事上のスキルだけの話でした。

けれど、結果として私が得た「副産物」は、統合されたセルフという超最強のリソースでした。



それから、私は、人助けが「好き」な人が集まっている雰囲気も好きでした。

これも私の好みには合っていたのかもしれません。


私自身は使命感や責任感という言葉は、ちょっと重たく感じてしまい、あまり好まないからです。
好きだから人助けしてるのという方が好きです。

実際、私はそうです。
私は単に、人が笑顔になっていくのが好きなのだと思います。

ただ私はしんどいのは好きではありません。

サポートする側も楽しくサポートできる、これが一番だと思います。

好きなことは楽しくできれば、もっと好きになれます。


人助けをする側も楽しんでいけないという法律はどこにもございません。
しんどくなければ、人はもっと人を助けるという気もします。

(自分の世界観からすると)おかしな考え方をする人を理解しなければならないは苦行ですが、理解しなくてもサポートすることができるとしたら、サポートする人はもっと楽にサポートできます。
そして、実際、理解しなくても、信頼関係を築いて、相手の心をサポートすることはできます。

そういうものを見つけてくれた人たちがいたから。
デイビッド・グローブもそうですし、ペニーやジェームズもそうですし。


いつものやり方とは違う、だから、やり方を覚えるまでは少し大変な人もいるかもしれない、でも、やり方を覚えた後は何よりも楽に人をサポートできる。

クリーンランゲージやシンボリック・モデリングはそういう感じの技法だと思っています。



そして、これらが全部存在していたので、私はシンボリック・モデリングを学び続けてきたような気がします。



クライアントの得る利益については、また改めて、これはまともにどこかに書きたいと思います。(いや、もう書いてるかもしれない)



あくまでも、私個人の話としてです。

何かを学ぶときの動機や、そこで得るものは、一人一人違うと思います。
誰に習ったかでもまた違いはあるかもしれません。
一緒に学んだ仲間によっても違いはあるかもしれません。

一期一会なところはあると思うので、これは、私が、私の一期一会から得たあれこれです。