バックサイド・ストーリー
この物語は、小学生の時にすでに始まっていたのだと、今朝、気づきました。
私はこれからの時間のための準備を、小学生の時に始めていたのだと。
私自身は、人生のテーマや目的を深く考えることも、深く考えたこともほとんどありません。
自分探しが流行っていた頃には、逆にいつも不思議でした。
自分はいつでもここにいるのに、どこを、探すのだろう?と。
「頭が軽い」「お気楽なやつ」と、父は私のことをよく笑いました。
私のことを「反射神経だけで生きている昆虫」とからかった人も過去にいました(笑)
若い頃、人並みに人生には悩み、もがき、生きてはいましたが、それでも自分の人生そのものに疑問を抱いたことはありませんでした。
25歳の時に大きな転機があり、それ以降、私は「今日は明日の、未来の過去だ」という考え方で生きています。
過去の自分は変えられずとも、今日の自分はどうとでもできる。
今日の自分が、明日や未来の自分を困らせるようなことをするのはやめようと、25歳の時に決めました。
今日の自分が、明日や未来の自分を助ける過去になる生き方をしようと思いました。
だから、今日を後悔した日は、明日、すぐ動く。
手が届かない過去になる前に。
悔いだらけの過去を抱えた25歳の私は、そう決めました。
今から25年が過ぎた頃、私の過去は、悔いある過去より、頑張った過去の分量が多くなる。
人生が逆転する日を待とうと思いました。
私は師に恵まれました。
これは両親がくれた名前のおかげだと思っています。
両親は、私に、縁に恵まれるようにと、縁の読みである「ゆかり」というシンボル名をつけました。
シンボル名通り、さまざまな人生の先輩たちや仲間が現れては、ひとつずつ、私が何かをクリアしていくのをサポートしてくれました。
そしてやがて、なぜだか、それに私の才能がむちゃくちゃ発揮されるモノと私は出会いました。
反射神経も含めて。
ポジティブさ、耳のよさ、観察力、自分がそも持っていたり、鍛えられたりしていたものを余すところなく、他者のために使えるもの。
何より楽しいこと。
子供のころ、私は日がな一日、空想して遊んでいるような子供でした。
一つとして現実にならなかったそれらが、そのモノを使うと、どんどん現実になりました。
そうして、私は、それがあまりにも楽しいので、他の人たちにもそれを教えてあげたいと思うようになりました。
話は子供時代に戻ります。
その思いは、小学生の頃、新しい遊びを思いついたときに、友達に「ねえ、こんな遊びがあるよ」と伝えて遊び仲間を増やしていった時の思いとなんら変わらないということに気づきました。
小学生の私は人気者でした。
じっと座っているのと給食が苦痛で、学校にはあまり真面目に行きたがらない子供でしたが、友達の数は多く、さまざまなグループに顔をだしては、さまざまな子供たちと遊んでいました。
その頃、ある先生が、女子をいじめる男子と戦い続ける私にある一冊の本をくれました。
「優しさと強さと」というタイトルのカトリックの神父さんの伝記でした。
強いということは、優しいことなんだ。
優しくいるためには、強くなければなれない。
本当に強い人になりなさい。
先生は、そう話していました。
先生は、ようは「男子を殴るな」と言いたかったのだと思います。
なぜに人をいじめる男子に優しくする必要があるのか、私にはさっぱりわかりませんでした。
時は数十年たち。
私が現在取り組んでいるのは「強さ」だと、ふと気づきました。
プライベートでも仕事でも。
つまり、自分がどこまで優しい人になれるかに私はチャレンジしようとしているのだろうと気づきました。
ホンモノの優しさを身につけたいと考えているのだろうと。
私が人生のテーマを考えないのは、勝手に体がやりたいことを始めていて、私はただ、それに気づくだけだからです。
「頭が軽い」ので、私の頭はあまり真面目にモノを考えないため、体は勝手にやっていて、文章を書くためにだけ、私に教えてくるのです。
ともあれ、強さ。
笑顔であり続けるための強さ。
人に優しくするための強さ。
私は、必要ないことはやらないので、おそらくは、それを自分は必要としているのでしょう。
私は、テーマや目的という風には考えません。
ただ、それが自分に必要かどうかだけ。
今から始める遊びを楽しむために、私に必要なものは、強さ。
小学生の私が、一緒にやろうよと追いかけてきたような朝でした。
大人の私は、人を殴りませんがね(笑)
まずは彼女を説教するところから、始めねばなりません(笑)