鍵を握っていた「粘り強さ」

そのリソースが鍵を握っていたとは気づかなかった!!!!!

…というようなことが、最近、私に起きました。


リソースとは、この場合は、「その人が価値を認める/好む何か+その人が持っているもの」のことです。

1ヶ月半ほど前、私は、自分のトレーニングの一環で、そのリソースを扱う「リソースワーク」の復習をするために、セッションを受けました。
この方法は、この7年、私が続けてきた方法です。

私は、クライアントとしてセッションを受けながら、ファシリテーターがすることをモデリング(観察する)して覚えていくという方法を、自分の学習方法として採用していました。

理由はシンプルで、当時、英語での説明が、ほとんど全く理解できなかったからです。
(今はわかります)

それでも、練習ではない、プロのファシリテーター、それもスーパーファシリテーターが、本気でセッションをする時に繰り広げるあれこれは、トレーニングでは見ることができなかったため、技を盗むために、私は自分がセッションを受けるという方法を採用し続けてきました。

これは、私自身の個性もありますが、体で覚える方が、私には早かったのです。

私には、セッションを提供するクライアントがいました。
だから、理解できていなくても、「できれば」それでよかったのです。

教える、ということが考えの中に入ってきて、そして、それからようやく、私は、知識を頭に詰め込み始めました。
ああ、あれのことか、と体験と知識を照らし合わせながら。


そんなわけで、受けたリソースワークのセッションでしたが、私には、もう、発展させたいリソースがありませんでした(笑)
リソースワークは練習に使います。
だから、やりすぎて、すでに、自分でわかるリソースは展開させ尽くしていました。

そこで、セッションのお題として私が選んだリソースは、その数日前に覚えた英単語「tenacity」(粘り強さ)というものでした。

私はただ、tenacityという単語の意味を理解して覚えるためだけに、そのお題を選びました。
自分が粘り強いというのは把握はしていましたが、わざわざ取り上げる必要もないと思っていました。十分に、私の人生の中で、私の粘り強さ、それは機能していたからです。

けれど、そのセッションの最中、そして、その後と、私の人生というか、私のメタファー・ランドスケープには、まあびっくりなことが起こり続けています。

そして、私は、「粘り強さ」が、その鍵を握っていたことに、びっくりしています。
私はそこには、これまで、全く興味を持ちませんでした。
よく考えれば、私の人生の中には、いつもそれはあったけれど、当たり前すぎて、考えてみることすらありませんでした。


けれど、そこに注意を向けて、メタファーとして展開させてみた時、まあ、びっくり!ということが起きました。

私は、その「粘り強さ」がどこから生まれたかを知りました。
それは、私の「指」が知っていました。
私が「指」で覚えたこと、それが「粘り強さ」だったのです。
子供の頃から24歳まで習い続け、弾き続けたピアノの練習が、私の「粘り強さ」を育てたのだということ。

弾けないフレーズがあっても、それを、弾く練習をすればいつか弾けるようになる。けれど、練習を諦めた時、それは永遠に弾けるようにはならない。

そして、その「粘り強さ」は、ピアノの先生と一緒に育てたと、私の口は言っていました。
彼女は、一度も怒らなかった。
彼女は、いつでも、「大丈夫、大丈夫」と笑っていた。
彼女はいつでも笑顔で私と一緒に楽しんでいた。
私の話をしっかり聞いてくれた。

そう、私の口は言いました。

そうすると、セッションの後から、「それが、君の<教える>のロールモデルなんだね」と教えてもらいました。

私は、そこで、今後の私を助けてくれるリソースを、ちゃんと自分は持っていることに気づきました。
「先生」のロールモデルです。


その後、そのセッションの中で生まれたメタファーたちは、勝手に進化しました。
そして、「暖かい海」とそこを泳ぐ「黄色いクジラ」という新しいメタファーを生み出しました。

その後、私は、その「暖かい海」は、どこから来たかを知りました。
それは、私が遺伝的に持っていた要素でした。

やがて、「暖かい海」は「波」を生み、そして、つい最近、その「波」が「大陸」を生み出しました。
そして、そのメタファー・ランドスケープは、まだ、勝手に進化し続けているのがわかります。

こりゃまるで、天地創造みたいな物語になってきた…と私は思いました。

ここまでダイナミックで大きいランドスケープを、私は、これまで体験したことがありません。

私の人生に何かが起きる、ということだけは、これまでの経験からわかります。
それが何かはわかりません。
だって、「望んでいるアウトカム」から始まった話ではないからです。
私はただ、「自分が持っているリソース」を展開させているだけだからです。

それでも、それなのに、何かが、私の中で動き続けています。

まさか、英単語を覚えたいというどうでもいい理由で選んだ言葉から、こんなことが始まるとは全く想像もできないことでした。


そして、シンボリック・モデリングのプロセスでのファシリテーターの役割は、ほぼ「注意を向ける」ことを手伝うだけですが、その意味が、私は、ようやく、本当にわかったような気分になりました。

間に合ってよかった!

ギリギリに、なんでも間に合わせている感じがしますが、まあ、そんな感じなのでした。

もう、本当に、びっくりとはこのことです。