The art of craft
そこにあるのに、そこにない。
「細かい小さなことが見え始める」と、私が書いたのは5月初旬。
(期間限定公開の記事の中に)
おおよそ二週間経ち、本当に細かい小さなことが見え始めた。
効果が出始めたのだろう。
しつこいようだが、メタファーはすごいのだ。
私がメタファーを採用し続けているのは、効果があるからだ。
作業自体は、遊んでいるのと変わらないのに、たいして真剣に取り組みもしないのに、するっと現実が変わっていくからだ。
そして、現実を変えるときに、自分の中に抵抗が生まれないからだ。
心理的な抵抗は、何かを変えるときに邪魔になる。
自分が本気で変えたいと望んだ時にすら、その抵抗は起きる。
けれど、メタファーの世界で一度体験すみのものは、現実でそれが起きる時には、自分は新しい体験としては認知しない。
違うことに、後から気づくことは多々あるが、自分が変えようとしていることに自分が気づかない。
一番、経験しているからだ。
そして、うまくいくことを「知っている」からだ。
それが実際、現実でうまくいくかどうかは、やってみなければわからない。
現実には、メタファーの世界にはない条件や環境があるから。
けれど、少なくとも、チャレンジしてみることへの心理的な抵抗がないこと、変化に対して自分なりに準備ができていることは、ものすごく大きな違いを生むという体験を、私はこの数年、味わい続けた。
そして、今日も。
何の感情も伴わないまま、ああ、効果がではじめたなと、私は淡々と思った。
まあ、これは、私が自分をモルモットだと考えているのも大きい。
自分自身で、クリーンランゲージの効果を確認し続けている。
それが現実にもたらす効果と、長期使用の安全性の確認。
だいたい大丈夫というか、むっちゃいいというのが、この実験のデータ。
私の英語との関わりを、最初から辿ってもらえば、それはそのまま、クリーンランゲージの効果だ。
私が抱えていた問題らしき問題は、英語だけだった。
精神的な話や現実は、すでに片付けてあったので、当初、何もなかった。
私が、仕事で使うためだけに勉強することにした技法は、クリーンランゲージだけだ。
そこまでの他はなんらか、自分自身の成長も学習する要素に入っていた。
全てを他者に分けるために学習する、という設定が、クリーンランゲージについては、最初からあった。
だから、私は、ほとんど全ての体験を書き綴ってきた。
私に分けられるものは、まだ、自分の体験だけしかなかったからだ。
さて。
一番最初に、私が試しでクリーンランゲージのセッションを3回連続で受けた時、担当してくれた、その後私が習うことになる日本人のトレーナーの人は、2回目に軽やかに笑いながら言った。
「どうせ(問題は)何もないんでしょう?」
私は笑って言った。
「はい、何にもありません。クリーンランゲージを体験したいだけ」
東京のどこかの部屋に静かな光が差し込んでいたのをよく覚えている。
彼女は笑って言った。
「さて、何をやるの?」
そして何を取り上げたのかは覚えていない。
それはクリーンスペースという散歩みたいなセッションだった。
ともかく何か楽しいことが起きて、そして、1時間後、私は彼女とハグをして、大阪に帰った。
「よし、クリーンランゲージを勉強しよう」
私が、そのセッションで得た最大の効果はそれだ。
私が最初に受けたセッションは、腕の確かな人にしてもらったセッションだった。
そして、そのあとも、私は、腕が確かな人たちに、自分自身のセッションは委ね続けた。
英語、というお題を通じて、私は、問題がリソース(その人が価値を認めているか、好むもの+その人が持っているもの)に変わり、それがいかに自分の世界を変えていくか、を体験し続けた。
シンボリック・モデリングの一からの流れを体験するために。
そして、今、細かな小さなことに注意が向き始めた。
これがどの段階なのかを、私は知っている。
そして、私は、昨日、英語について期限を切った。
今朝、私は、自分の手に、A4の紙の束とUSBを重ねて、「持ってきました。できました」という自分の姿を見た。
場所はイギリス。
励まし続けてくれた人に、日本語で書かれた紙の束を届けること。
それが、私の「英語」の最終ランドスケープだ。
「the art of craft」
私が欲しいものは、それだ。
そして、もしも、それが形になったら、それは、誰の目にも見えるクリーンランゲージのエビデンスだ。