マニアックすぎる考察
メモ。
マニアックすぎますが、まだまとまらないので、ここにしか書けないからここに。
私は、クリーンランゲージで使う質問の訳を考えるというライフワークを持っている。
もともと英語で作られたその質問は、シェイクスピアが好きだった人が考えた質問らしく、英語の特徴があますところなく活かされている感じがする。
文学作品のようにすら見えるそれは、しかし、文学ではない。
質問には、機能がある。
最近は、他の国の他の言語の人たちから話を聞いたり、読んだりすることで、自分の理解が深まるのを感じている。
目下、私が考えているのは、whenという単語の扱いだ。
これは、英語と日本語の文法の違いがそのまま反映されている。
クリーンな質問の中で、whenが何を意図しているか、その機能は公開されている。
デイビッド・グローブ自身は、そこまで細かく追求しなかったようだが、後に続いた人たちが、時間をかけて、ひたすら、機能を分析したり、探したらしい。
英語の質問自体も、昔のものを見ると、今とは違うものがある。
使いながら精査されていったんだなというのがわかる。
構文も、昔と今とでは、少し使い方が違うようなものもある。
質問がアレンジされているものは、頻繁に見かけるから、完全に定型ということでもないらしい。
(このアレンジがまた、おう!英語でしか無理だ!みたいなものも割とある)
最初の人に続いた人たちは、クリーンランゲージを、誰もが学べるものにするために。
体系化するために。
きっとソクラテスは何も書き残さなかったが、プラトンが書いたみたいな感じだろう。
最初の人は、だいたいあんまり書き残さないもんである。
今は、よりよいものへと発展させるために。
when。
クリーンな質問は、日本語では、そのまま訳すと、語順と文法の関係で、その機能が完全には再現できない。
むしろ、whenの前に来るandに、その機能を持たせる方が、日本語ではスムーズだが、andにはandの役割があり、andにwhenをさせると、andの「つなげる」「加える」機能が死ぬ。
シンプルな小さい単語の方がやっかいだなと、最近、よく感じる。
そして、最近、あ!andに二つ仕事をさせたらどうだろう?と、私は突然、気がついた。
whenと同じ仕事が、日本語のandにはできる。
そして、おそらくは、一番初期の頃に訳されたandの日本語訳は、そちらを優先しているのではないかと推測される。
代わりに、つなげる、加える機能を落として。
翻訳者の価値観が、翻訳には表れる。
時を止める方が重要だと判断し、そちらを優先させたということかもしれない。
私の価値観では、つなげる、加える、は、落とせない。
対話というコミュニケーションの中で、「敵対しない」「あなたの話をちゃんと聞いていた」と表すために、話をつなげ、そこに、質問を加えるのは、信頼関係を保って対話を続けるためには必要だ。
そうだ。
どうして、一語の機能はひとつと決めてかかっていたのだろう?と、今朝、私は自分のことを心から不思議に思った。
私が欲しいのは、機能であって、正しい翻訳ではない。
私がしたいことは、英語のクリーンな質問に起こせることを、日本語で起こしたいだけだ。
私の頭ガチガチやったわ、もっとやわらかく考えんと、と、私は思った。
(「アヒル」が仕事をし始めたかもしれない)
現実的なきっかけは、昨日、ロシア語のクリーンな質問の訳や、中国語ではロジックという英単語が動詞的にも訳せるという話を見たり聞いたりしたことだった。
各国、それぞれ、頭を捻っている模様。
ロシア語も中国語も、日本語よりはずっと英語に近い。
ロシア語では、whereの訳が難しいのだそうだ。そのまま訳すとすごく変らしい。thatの訳も難しいと言っていたから、英語とロシア語は空間の概念が少し違うのかもしれない。
日本語でも、thatとtheの訳には違いがない。そもそも日本語には、theがない。
thatがもっている、「少し離れた感じ」の再現は、日本語では難しい。
質問の使い方を見ていると、その感じも、クリーンな質問のthatには含まれているはずだが、そこは、「その〜」という訳では、完全に再現はできない。
だからといって、「あの〜」は妙だし、離れすぎている。
目の前で話をしている人の、話の中のことを指すのには。
that one,this one.
それとこれ。あれとこれ。
this oneも、比べる時には登場する。
そして、私は、最大公約数の訳を探すのだけれど、最初から最大公約数に絞ったことが間違いだったと、気がついた。
最小公倍数から話をはじめて、そして、倍数を好きなだけ弾き出し、最後に、初心者用の最大公約数でいい、と、一夜で、私の頭の中が変わった。
昨夜からひどい頭痛だったから、私の頭の中が何かをしていたのかもしれない。
自分の思考を根本から変える時、私の頭はいつも痛みを覚える。
慣れたやり方を手放す痛み。
一瞬だけど。
そして思った。
さあ、翻訳するのが楽しくなってきたぞ。
幸い、現在、私が翻訳しているほとんどは、経験者対象のものだ。
現在のスタンダードな翻訳は、すでに知っている人たちがそれを読む。
だから、訳のバリエーションが増えても、その人たちは混乱しない。
幸いなことに。
むしろ、クリーンな質問は、定型であって、定型ではないということを知れる方が、現実に近い。
私には、クリーンランゲージは、もう完全に固まっているものではなく、開発中に近いイメージがある。
永遠にそうかもしれない。
そして、その中にいることが、創造性を要求されることが、私にはたまらなく楽しい。
ルールはある。
ルールブックもある。
けれど、ルールブックを作った人が、「多分、日本語には必要な感じがするから、日本語にしかない完全に新しいクリーンな質問を探せ」と提案してきたりする面白い世界が、クリーンランゲージの世界だ。
25年かかるみたいですけどね。
だから、ライフワーク。
まず、翻訳。
山のようなセッション記録を翻訳する間に、きっと、何か浮かぶだろう。