おぼろげに感じた方向性
「私がこの数年かけて体験した気持ちは、何と似ているかに気がついたんです」
私は、今日、私の料理の師匠のご婦人にそう言った。
ご婦人は、最近、寝込んでいて、もうだめかと思ったが、すっかり元気になった。
ご婦人と私は、親子ほど年齢が違う。
「何に気がついたの?」とご婦人は言った。
私は、「私が英語を通じて経験したのは、聴覚障害と言語障害です」と言った。
聞こえない、わからない、話せない。
自身が最も得意とするパートに障害を抱えた場合の状態。
ご婦人は、「それは大きな気づきだわね」と目を輝かせた。
ご婦人は、長らく、車椅子ユーザーだ。
私は続けて言った。
「今ね、英語の動画に字幕をつける作業をしているんです。そしたらね、英語がわかる人と英語がわからない人が」
そこまで来て、ご婦人が言葉を遮って言った。
「使いやすい字幕の位置が違ったんでしょう?」
私は言った。
「そう、そうなんです!」
ご婦人は、過去に大学院で、ユニバーサルデザインを教えていたことがある。
そしてそこから、私はしばらく、字幕の話をご婦人とした。
さて。
私の祖父は障害者だった。
私のセッションのクライアントさんには、発達障害のクライアントさん、それから、外国籍の人が半分くらい混じっている。
そして、料理の師匠も障害者だ。
それらの人から私が、共通して言われることがあることには気づいている。
「あなたは、人間を対等に扱うから」だ。
たまに、人生が何かの方向性を持っているように感じられる瞬間があるが、なんだか、それを今日は感じた。
おぼろげに。