マニアックな話
マニアックな話。
今度は、空間がテーマで勉強中。
オンラインワークショップで。
日常でクリーンな質問を使う分には、ここまでやる必要ないだろうと思われる。
メタファーを使って対人支援をする人は、クリーンランゲージを使ってするのでなくても、この数年、魔法使いたちが繰り広げているオンラインワークショップは、非常に参考になるのではないかと思う。
対人支援(シンボリック・モデリング)に使う前提で、解釈された時間、空間、形、知覚者についてが、本年のテーマだ。
私は、今年の分から、許可をもらって、その翻訳を提供している。
有料商品の翻訳のため、オープンにはできないので、CleanCampusというクローズドコミュニティの中でシェアしている。
このワークショップは、一年ごとにテーマが変わるが、特に今回のは汎用性があると思う。
とりあげているのは、認知言語学の範疇だ。
その中からピックアップしてある。
学術的な話ではなく、実用性をメインにまとめてくれているので、わかりやすい。
さて、なんで、それがワークショップのテーマになっているかといえば。
そもそも、クリーンランゲージの世界は、質問を作った人の元の考え方だけでは、発展していっていない。
そこに、さまざまな人のリソースや知恵が加わりながら、発展していっている。
だから、バリエーションがいっぱいあって、教える人によって、同じクリーンランゲージでも、だいぶ違いがある。
これは、おそらく全世界そう。
.......
たった一つのクリーンランゲージは、質問くらいのことで、ただ、その質問も、人によりけり、解釈の違いで、英語でも微妙に違うものが混在している。
それは、シンボリック・モデリングの中だけですらそうだ。
どれが正しいかとか、ただひとつの訳を探すのは、全くもってナンセンスな話だと、私は思う。
クライアントに効果があり、クリーンの定義を外れないならば、それでいいというのが、私自身のスタンスだ。
そしてまた、ここがややこしいのが、クリーンの定義、それがまた曖昧なのだ。
ぼやんとしている。
デイビッド・グローブが言った基本ガイドラインはあるにはある。
でも、それを彼自身がまとめて発表してるわけではない。
あまりにも早く亡くなってしまったから、まとめる時間がなかったのかもしれない。
というわけで、クライアントに効果があるかないかが、私自身には全てだ。
ここは、デイビッド・グローブや魔法使いの真似をしている。
まずは、彼らがしたように、大量の資料を読んで分析する、それが今の段階。
私が翻訳する理由は、その作業そのものが分析だからだ。
私は、うまくいっているやり方は、素直に真似することにしている。
そのやり方は、長い長い時間がかかると知っていても。
私は、魔法使いになりたい。
おじいちゃんみたいに。
彼らみたいに。
......
私が使う、シンボリック・モデリングの背景のひとつには、認知言語学の要素がある。
今回のワークショップでとりあげられているのは、明らかにその範疇の話だ。
それで私は、大学三、四年生の自分を、蹴り飛ばしたくなる気分満載で、話を見聞きしたり、読んだりしている。
なぜならば、彼女がまじめに勉強してさえいれば、私が、こんなに訳語を探し回り、調べたおす必要はなかったはずだからである。
彼女は、そのほど近くにいた。
彼女が選んだゼミは、倍率が低くて入れるというだけの理由で、言語学だったからだ。
英語と日本語の対比。
小難しくて意味がわからない言語学者が英語で書いた本。
その気になれば、彼女は興味を持ったはずだが、なんせ、彼女にはピアノがあった。
それ以外に、興味がなかったのである。
というわけで、私は、彼女のしなかったことで、やるべきだったことを辿っている気分になる。
ただ、彼女のおかげで、「それらの英単語には、すでに、日本語があり、日本語との対比をしてくれているたくさんの論文がある」ということだけを記憶していた。
やる気のなかった彼女はそれらは読んでいない。
彼女は、ただ、単語だけを知っていた。
それが、ある、ということだけを知っていた。
それらの言葉が集まっている場所がある、と。
ただし、その分野は、確定的な結論がまだなく(永遠にないんではないかと思う)、人により解釈が割れていることも同時に知っている。
また、魔法使いが、微妙に単語を変えてきているのも目に留まる。
オリジナルの単語を使っていない部分が、ちらほらあり、それは、魔法使い自身の考えを表しているのだろうから、そこは尊重する必要がある。
つまり、最終的には、翻訳は、自分が考えるしかないことも理解できる。
シンボリック・モデリングの文脈の中で。
だから、パズルみたいな話だ。
ダンスだけど、パズル。
ステップが細かい。
ともかく、たった1時間を翻訳するのに、資料を調べ読む時間、考える時間が異常に長くかかる。
人を待たせることにいらいらする私は、大学三、四年生の私を蹴り飛ばしたくなる。
ただまあ、そういう時間は嫌いではない。
そして、何もかも忘れて、没頭できるものがあること自体には、私はすごく助けられている。
そこがまた、彼女がやらなかったことが役に立っているようで、むかつくのである。