やりきった感と、いえ、今からです感が交錯するマニアックな話

またしても、マニアックな考察。

そこ?というくらい重箱の隅をつつく話。


(ものすごく細かいところに意識が向き始めたので、ゴールデンウィーク中にした自分のメンテナンスが関係しているかも)


私が、クリーンランゲージの世界をイメージするとき、グループ企業がたくさんあるホールディングスみたいなものかもしれないと感じる。

スーパー系だと、イオン系とかそんな感じ。

ブランドだと、ルイ・ヴィトンのグループにシャンパンの会社も存在したりするように、一見、関係なさげな企業もあるみたいな感じ。


ただし、ヒエラルキーや、ピラミッド型のホールディングスではなく、サークルまたは放射状に広がっている感じがする。


真ん中にあるものが、クリーンランゲージ、だ。

日本語ですでに紹介されているのは、その中のわずか23の技法だ。



私が長らく興味を抱き続け、さまざまなあ〜めんどくさ!と感じる葛藤を体験しつつも、がんとして手放さなかったものは、その中のひとつ、クリーンランゲージ&シンボリック・モデリングという長い名前が正式名称の技法だ。

長いので、作ったご本人たちが、省略していたりする。


私がここに、クリーンランゲージと書いている時は、2つの場合。

クリーンランゲージを指している場合と、クリーンランゲージ&シンボリック・モデリングの場合がある。


私が、クリーンランゲージだけで表現してきた理由は、クリーンランゲージ&シンボリック・モデリングを作ったご本人が、技法の名称を省略して書いているのと同じ理由かもしれない。


長い。


話も長い。

しかし、この辺を割と理解してないと、クリーンランゲージの世界を本気で楽しみにくい。

自由さ、クリエイティブさに対する価値の高さ、あなたも実験してみてね感。

正しさの対極にあるような世界観。

(というのが、私の理解)



私が、翻訳していたり、質問訳を考え続けているのは、基本的には、この長い名前の技法についてだ。


クリーンランゲージは質問セットで、基本、グループ会社はみな同じ質問を使う。

日本語は、同じ質問でも、そうです、訳はいくらでも生まれえる。


日本語が英語ならば、そして、英日対訳がひとつしかなければ、こんなことにはなっていない。

けれど、日本語は、独特で、ほんと〜に独特で、あま〜りに英語と違うため、何がどうなればどうなのよと、永遠に試し続けられるかもしれない。



以上が長い前置き。

しかし、今日の話は、質問の訳ではない。



というわけで、私は、センサーを張り巡らしているのだが、「そやねん、そこもやねん」と、最近、ある日本語を見て、本当に口に出して言った。


私が探求している長い名前の技法では、言葉を分類する。

内容ではなく、どんな話の種類かで分類する。


その中のひとつに、「デザイアード・アウトカム」というものがある。

Desired Outcome

略してDO

もっと短く略してO


そして、この一番短い略は、この「デザイアード・アウトカム」も含まれる質問モデルの名称にも含まれている。

残りは、プログラム、レメディ。PRO

さらに、それをもっと細かく分類する初心者は習わないモデルには、エクスプラネイション、リソース、チェンジが入ってくる。REPROCess


という諸条件がある。

(もう、全部、何をどのようにどうすりゃあ、、、な感じが今の私の状態。笑)



さあ、英語がご堪能なみなさん、これを日本語にしてみてください。

アウトカムは、アウトカムとそのまま訳されているのもよく見る。


辞書を引くと、結果、成果が主な訳。


でも、この場合のアウトカムには、独自定義がある。

おそらくは、そちらを優先し、現在、このアウトカムは望みと訳されているのをよく見かける。


デザイアードは、「望ましい」とよく訳されている。

望ましい望み。

望という漢字が重複する。


私はそこは前から気になっていた。

字面だけの話だ。

グラフィックデザインをやる関係で、私は、文字の見た目も気にする。

見た目は理解しやすさに影響する。



私がある日、「そやねん」と口に出したのは、別のファシリテーション技法について書かれた日本語の記事を読んでいた時だった。

参照記事は、英語と推測されるその記事の中に、「望ましい結果」という表現が何度か登場した。


この表現の原語は何だ?と私は考えた。


Desired Outcomeか?

Desired Effectか?



さあ、このアウトカムは、日本語だと何なのよ?と、私は再び考えた。


「アウトカムはアウトカム」と、私の中で声がした。

日本語にはない、と、私の中の何かは言った。



そこで、私の頭は、Loveという英単語の有名なエピソードを思い出した。

英和辞書が最初にできた頃、日本には、Loveに対する概念がなかった。

そこに愛という文字をあてはめた時のエピソードだ。



私の目的は何だ?と、私は考えた。


より包括的に、わかりやすく理解できるための訳、なおかつ、学習者が自ら思考することを刺激し、促進する訳。


これは、すぐに答えが出た。


すると、何が必要?」


すると何が起きればいい?



後から、ものすごくたくさんの加筆修正をいれる覚悟が必要。

私の理解が深まらない限り、自分自身の最終的な答えがでない。

おそらく、ずう〜っと先の話だろう。


いつでも、今の自分にできうる最高のものを提供し続ける努力。


自分は機能を追求しているということを忘れないこと。

文学にしようとしないこと。


人の意見や批判を面白がる姿勢。


常に、自分の何がそこに投影されているか、自分の翻訳を俯瞰すること。



まだまだ出てきそうだった。



実に面白い。



ほんで、どう訳すのよ、アウトカムは?

成果や結果よりは、望みの方が、私の感覚でもしっくりくる。


しかし、望望と、二回同じ漢字が続くと、重複する。


ならば、考えるのはDesiredなのか?


PROモデルとの連携は?


カタカナで揃えるか、漢字を使うか?

カタカナは確実に、理解のスピードを落とす。


さあ、どう考えよう?



こんなんばっかり。笑


まあ、細かいから、私がやってんだろうとは思うけども。

あと、私は、批判しやすいから。笑


何かを批判するとき、その人は自分の頭で物を考えている。

それは、学習に必要なことだ。


自由な意見を促進できる。

これ、長所。

リソースとして使うには、私に、おおらかさが必要。まあ、あるわな。(適当さともいう)