クリエイターと女優
これまでも使っていたけど、クリーンランゲージ関係については効果的には使っていなかった自分のリソースに気づきました。
リソースの名前は、クリエイター。女優。
私は、自分自身が目立つのはあまり好きではありません。
私は目立つことが多いですが、恒常的に注目を浴びるのは好きではありません。
自由にしたいので、ほっておいてもらいたいタイプです。
(親しい人たちはみなそれを知っています)
私は誰とでも友達になりたいと考える人懐っこさは持ちますが、目立つときに自分に近づくものは、友情の対極にあるものも混ざります。
これは、過去にたくさん経験したことから知っています。
私は、それらに非常に敏感で、非常に傷つきます。(しかし、立ち直りは早いです)
そして私は他人から期待されることも、めんどくさいと考えるタイプです。
私は自分がやりたいことしかしない、何か期待するものがあるならば、人に期待せずに、自分がやればいいじゃないかと思ったりします。
これは、私がおばちゃんになるにつれ、さらにはっきりした思いになってきています。
残り時間が減ってきたからです。
誰かの期待に応えている時間はない!と思ったのです。
ただし、私がやりたいことは、ほとんどの場合、他人のためにやることです。
自分のことは、もう、片付いてしまったからです。
それで、この私がやりたいことと、私が目立つのが嫌いなことは、長らく矛盾した関係にありました。
私は目立つ必要があるのです。
たくさんの人に自分を知ってもらう必要があるのです。
ただ、死んでもカリスマ的、権威的な存在にはなりたくない。
私が許容できるのは、パンダ。
そんな感じのことで、ずいぶん長い間、考えていました。
ここから先は、自分が目立つことが他人を守ることにもつながるからです。
全員を主役にするためには、自分ひとりが主役で居続けることを望まない自分は、役に立てるからです。
はて、どうしたものか。
そんなある日、私は、ふとしたきっかけで、パンデミックの間、遊び倒した動画作成に手をつけました。
前職の関係もあり、私は、動画作成は好きです。
そして、私は、自分が作ったものは、見てみて〜!と喜んでシェアします。
ブログもそうですね。
ピアノも人前で弾くことが喜びでした。
そういう時、私の中には、作品を目立たせることばかりが浮かびます。
自分は目立つのは好きではない、けれど、私は作品ならば目立たせたい。
なんなら作った作品を販売していたりもします。
そして、面白いことが起きました。
動画を何本か作った後。
私が目立つことを、つまり、私の作品を目立たせることでやればいいと、なぜ、今までその2つがつながらなかったのかと、不思議に感じたのです。
この場合、私の作品は、私が理解している知識を他人にわかりやすくシェアするためのものです。
楽しく学べるように。
そして、私は、作った動画を例により、「見てみて〜!」とシェアしまくりました。
これまで私の中にあった、ほんの少しのブレーキが外れたのを感じました。
そして、私は、クリエイターの私に、私を目立たせることに協力してもらえばいいのだと気づきました。
作品を目立たせることなら、私はOKなのです。
むしろ目立っていただきたい。
作品が目立つのは、私の喜びです。
たくさんの人の役に立つなら。
ある友人が言いました。
「本当に、あなたは、何かを作るときは、ものすごく一生懸命にやるよね。そこまでやらなくていいというくらい」
そりゃ、私の気質がクリエイターだからだろうと、心底、納得しました。
私が、クリーンランゲージを使う技法の中でもシンボリック・モデリングが好きなのも、それが、何かを生み出すことに価値を置いている技法だからです。
想像、創造することを支援する技法だからです。
全ての人はクリエイター。
人生を生み出すクリエイター。
気づいていない人もいるだけで。
というわけで、私は、クリエイターの私と仲良くすることにしたのでした。
そして、トレーナーという役割は、小さな私が夢見た「女優」という夢も叶えてくれると気づきました。
助演女優賞を目指して、ワークショップという劇を演じ、安全な場所という空間を作ろうと。
なぜ助演かといえば、トレーニングやワークショップの主演は参加者さんだから。
みなで作る即興劇がワークショップ。
うん、そういうこと。
私はクリエイターで女優。
うん。
ちなみに、クリエイターも女優もメタファーです。
クリーンランゲージでは、こういう表現を、質問を使って展開します。